日向坂46 Cage 評価

cage ミュージックビデオ (C) 日向坂46

「想像のCage」

歌詞、楽曲、ミュージックビデオについて、

話題の共有、曖昧な呪文=ポエトリーリーディングの再登場と明確化。存在の証明ではなく、「存在などしていない」ことの証明。弁証法的に個性に結びつく「自由」の獲得と発揮を(現実と仮想を行き交う少女たちを)正面から描いている。アイディアそのものはやや陳腐に感じるが、灰色のコンクリートの上にふりつもる白い羽を、アイドルを演じる少女たちの群像にかさねてみると「何かしら意味あるように思えてしま」い、興味深い一曲に仕上がっている、と評価できる。(*1)
東村芽依が明喩を用いてケージを消滅させるのに対し、河田陽菜は暗喩を背負い仮構に自己を投影する。この二人のアイドルには『Cage』に自己を投射せざるを得ない”理由”を把持するのではないか、と妄執を育むのに好都合な物語がある。金村美玖の描くアイドルは終始拙いが、疾走感が素晴らしく、作品に緩急を与えている。演技力そのものを評価するなら丹生明里が一番良い。すでに眼で嘘を作っており、その揺かし方には伊藤万理華を想起させる力が宿っている。籠の中と外で異なる表情を、衝動を作れているのは彼女一人だけ。このような明確な比喩表現を置く楽曲を演じ、世に出すことは、観者に自身が演じるアイドルの性格にあたらしい要素を発見させるという妄執への”成り行き”を作れる為、ファンだけでなくアイドルにとっても価値のある作品と云えるだろう。鳥籠の中で踊る4人の少女、彼女たちはその狭い仮構の内側で幻想になりきる絶好の機会を与えられたのだから。

一方で、覚醒した少女たちが街中で呼吸する時、唐突に”何故、彼女はそこで踊っているか”というアクチュアルな問いが表出し、それを無関心の渦に流し込もうとしている”自己”の意識を自覚してしまい、批評=フィクションの外郭にヒビが入る。動機を探るのならば、やはりそれは楽曲のなかに仮装された作りてからのメッセージに因るのだろう。ライブ舞台装置の上で優先して求められる資質が”踊り”ではなく”演劇”であると容易に想像できる点から、『Cage』は『日向坂46』が楽曲の上にのみレーゾン・デートルを持った時代、まだ家郷が『欅坂46』の一つのみだった時代への回帰を望む声に応える姿勢を示した楽曲と呼べるが、仮構の中に置かれた工具が鳥籠であった点に隠しきれないアイロニーを感じる。アイドルがそのケージの中で腐って行き、儚さや喪失を描くのではなく、最終的にケージは壊され空に羽ばたいて行くのだから強烈な皮肉が込められている、と受け取るべきだろう。そのような現実側の”諸事情”が架空の世界の空にヒビを入れており、楽曲の足を引っ張っている。

 

総合評価 56点

聴く価値がある作品

(評価内訳)

楽曲 12点 歌詞 13点

ボーカル 10点 ライブ・映像 11点

情動感染 10点

歌唱メンバー:東村芽依、金村美玖、河田陽菜、丹生明里

作詞: 秋元康 作曲:水流雄一朗 編曲:水流雄一朗

引用:見出し、(*1) 秋元康 / Cage

評価点数の見方