賀喜遥香のセンター作品が楽しみ

ブログ, 乃木坂46

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「フィクションを用いて自己を語る」

何年か前、あるテレビ局の依頼で、当時ドイツで盛んになっていた反核運動の取材にいき、同じ目的できていた大江健三郎氏と久しぶりに偶会した。…その時、私が以前から手がけていたスクーバダイビングの話をし、オキノエラブウナギという名の猛毒をもった不思議な海蛇のことを口にしたら、彼がとても面白がって、そんな話は自分で思っているよりあなた自身にとって大切なのだから、暇な折りに書き残して、『新潮』の坂本編集長のような親しい編集者にあずけておいたらいいと忠告してくれたものだった。その後暫くしてそれを思い出し、自分の身の回りにあったいくつかの、なぜか忘れがたい出来事や人から聞いた話を暇な折り書き留めだした。やりだしてみるとわが事ながら自分でも思わぬ興味が湧いてきて、思えばこんな時にこそ俺の人生は飛翔していたのかも知れないと一人で感じいったりしたものだった。

石原慎太郎 / わが人生の時の時

賀喜遥香が久しぶりにセンターに立つということで、さっそく、その意気込みにふれるべく、公式ブログにアクセスした。やっぱり、この人は魅力的な文章を書きますね。自分の人生の暗い部分をファンに差し出す大胆さ、通り一遍の解釈にはならない、言葉の緊張感もさることながら、そうした言葉・文章が、アイドルの現況報告、つまり自分のファンだけに向けたものにならず、文章そのものが構成をもっている、つまり多くの人間に読まれるだろうという前提に立って、アイドルの魅力を伝えようとする意識をもっている点が、なによりも素晴らしい。今日初めて賀喜遥香を知った人でも、それを読めば、賀喜遥香の人となりがわかるような、そんな文章を彼女は編んでいる。
個人的な感情、個人的な体験を文章に構成することは、フィクションを作ることにほかならないけれど、賀喜遥香はフィクションを用いて自己を語ることに特に優れたアイドルだと思う。
フィクションであるならば、じゃあ彼女の語る事柄は嘘なのかと言えば、必ずしもそうとはかぎらない。もちろんフィクションは虚構ですから、嘘の入り混じったもの、嘘を支えにしたものであることは確かですが、その「嘘」が出来事の真偽にかかる必要はありません。たしかに起きた出来事に、つまり過去の記憶のなかに現在の思料を持ち込み過去の自分では抱けなかった感情を手に入れそれを言葉に表すこともまた、フィクションなのです。

あるいはフィクションとは、現実から遠く離れたものであると認識することが今日的かもしれませんが、フィクションというものは、元来、現実を嘘によってより鮮明にするものであったはずです。
仮に、多くの現代人にとってフィクション作品の役割が「現実を忘れさせてくれる快楽」にあるのならば、まさしくその状況こそがフィクションによってもたらされた現実なのではないでしょうか。たとえば20世紀の小説家の多くが、恋愛小説ならば恋愛だけを、ミステリーならばそれだけを書くことに集中し、恋愛小説の中で政治を語ることは絶対に避けなければならないと固く決心し、作品を世に送り出しました。つまりフィクションの内に現実を持ち込むべきではないとする意識は、そういった作風を示したフィクションによってもたらされたものなのです。なぜって、20世紀初頭は、まだまだ小説が力を持っていて、社会を先行していたからですね。
賀喜遥香の文章・言葉は、現実を忘れません。現実の出来事とされるものを、物語として、場景あるものとして、彼女は語ってくれます。現実の内に忘れられないものがある、けれどそれを「アイドル」に持ち込むべきだろうか、アイドルの世界に現実を持ち込むべきだろうか、葛藤することでアイドルの世界を鮮明にしている。

ところで、本音でしか笑わない人なんて、いるんですかね?だって、日常生活にしたって、仕事にしたって、場面場面に応じて演技して生きるのが人間ですからね。その演技をするなと言われてしまうと、生きるのがとても大変になってしまいます。人が演技をしながら生きていく理由は、単純明快です。それは、人間は本来的に、自分の居場所を求めるからです。居場所を求める、というのは、役割を欲する、という意味でもあります。役割を担うということは、つまり演技をするということですね。こうした意識をドラマツルギーなんて呼んだりもします。
僕が賀喜遥香の言葉に惹かれるのは、人間のだれもが秘めているドラマツルギーを文章に記しているからなのだと思う。彼女が凄いのは、本音でしか笑わない、という、非現実的に思える情況をもアイドルは叶えるのだと、アイドルの魅力を教える点です。アイドルにはそれだけのパワーが、奇跡があるのだと、アイドルの価値を、グループのセンターとして、知らしめている点もまた、ドラマツルギーに満ちている。


2025/06/23 楠木かなえ