乃木坂46 畠中清羅 評判記

乃木坂46

畠中清羅(C)スクランブルエッグ

「つづく」

畠中清羅、平成7年生、乃木坂46の第一期生。
アイドルグループ・Chimo出身。衛藤美彩も同グループ出身であり、固い絆で結ばれている。ただ、畠中のアイドルの性質は衛藤美彩の育むアイドル、たとえば野心と虚栄心をバランス良く重ねるようなアイドルの有り様とは、径庭している。ファンに不意打ちを喰らわせる衝動性をもつ、という意味では大和里菜と通い合うアイドルであり、都会の光りの眩しい世界にあっても本来の自分を見失わない、夢を前にして急に他人になってしまうような、「俗」とは無縁をつらぬく純度の高い素朴さをそなえ持つ、という点においては大園桃子の先駆をなす、そんなアイドルを畠中は編み上げ、提示している。
15歳でデビューし、19歳でアイドルの物語の幕を閉じる。その資質に比して、「選抜」の椅子に座したのはたったの一度のみ、これは少なすぎるように感じる。乃木坂46のアンダーの原点である『左胸の勇気』においてセンターポジションに選ばれ、次作『おいでシャンプー』では前作で集めた期待感に応えるようにして、表題曲の歌唱メンバーに選抜される。しかしアイドルとしての飛翔はここまで。グループをブレイクに導こうと奔走する作り手にとってのゾルレンではなかった、ということなのだろうか。

そのビジュアルのインパクトから、グループに親和と多様性を与える存在として、また同時に、乃木坂のカラーに反抗する粗野なアウトローとして、見做される場面が多かった。もちろんその見た目の迫力を裏切らない、剣呑な一面もたしかにあったようだが、この人は本来的に、熱誠で情誼に厚い人、だれからも愛される人物、であり、だれに対してもつねに「真実」であるという、好感をいやますアイドルを描いている。
とはいえ、だれからも愛される、愛着されてしまうその彼女の特質が、結局は彼女から「アイドル」を引き剥がす結果につながったのだから、皮肉と言えば皮肉かもしれない。

ゆえに、畠中清羅は、アイドルとして過ごす日々を青春の犠牲として捉えるのではなく、「アイドル」を嘘偽りなく青春の書と扱うタイプのアイドル、と呼ぶことができるだろうか。そうしたアイドルの有り様は、畠中がアイドルとして生きた時代においては少数派、あるいは、アイドルの弱さ、として見做されたが、令和がはじまった現在のシーンにあっては、もはや主流となっている。ならば、そうしたズレ、時代・流行に対するタイミングの悪さ、にこの人の本領を見出すべきではないか。
彼女が描く、後日の物語。たとえば、青空の下、子どもを抱きかかえて公園を散歩するといった日常風景が、今後グループに誕生するであろう多くのアイドル=夢見る少女にとっての、より普遍的な憧憬、平凡などではない、逃れがたい、ほんとうの夢として立ち現れることは、シーンの衰退・索漠をみるかぎりほぼ決定づけられているようにおもう。青春の犠牲と引き換えにして夢をつかむ成長物語としての「アイドル」に儚さや活力を見出すのではなく、価値にまったく気づかないまま投げ捨ててしまった青の時代への名残の内に、哀れな日常=未来でしかなかった夢こそほんとうの夢であると確信する少女の横顔の内に、「アイドル」の儚さは宿る、という物語が、今後、シーンの主流になるのではないか。
そうした観点に立てば、畠中清羅の横顔には飛びきりの泡沫があるし、乃木坂46でアイドルを演じることになった多くの少女の物語を、すでに撃っている、ように見える。たとえば西野七瀬によって演じられた『つづく』の主人公こそ、畠中清羅、そのものではないか。

 

総合評価 60点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 10点

演劇表現 7点 バラエティ 15点

情動感染 14点

乃木坂46 活動期間 2011年~2015年