語彙力を鍛える方法

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アイドルのラジオを聴いたりブログを読んでいると、たびたび「語彙力」というワードが出てくる。わたしは語彙力がなくて……、というようなセリフを多くの場面で目にする。語彙力のない人間が「語彙」なんて言葉を使うのだろうか、なんて思いもするが、ほんとうに自分は語彙力がないのか、チェックするのは簡単だ。自分の語彙力がどれほどのものなのか、調べたいなら、また、鍛えたいなら、三人称で文章を書いてみればいい。


A
思いのほか早くに起きてしまった彼女は、ひさしぶりに朝食を作った。まずフライパンに卵をすべらせ目玉焼きを作った。つぎに、手でちぎったレタスに少量の酢と適量の塩をふりかけただけのサラダを作った。買ってからまだ一度も使ったことのないオレンジ絞り機をクローゼットの奥から引っ張り出してきて、ジュースも作った。最後にトースターで焼いた、すこし焦げたパンを皿に載せて朝食は完成した。窓を開けると、春とも秋ともつかない心地の良い風が部屋に吹き込み、食べ物の匂いを掻き立てた。それだけで、一日がなにか意味のあるものに感じられた。

B
思いのほか早くに起きてしまった彼女は、ひさしぶりに朝食を作った。まずは油をひいたフライパンに卵をすべらせ目玉焼きを完成させる。つぎに、水きりしたレタスを手でちぎり、そこに少量の酢と適量の塩をふりかける。ただの緑の葉が、一級のサラダに化けた。オレンジ絞り機で作ったジュースと、トースターで焼いた、すこし焦げたパンをその横に置いて朝食は仕上がった。窓を開けると、春とも秋ともつかない心地の良い風が吹き込み、料理の匂いで充満した部屋を洗い流した。もうそれだけで、彼女は今日一日を有意義に過ごせた気になった。


これはかなり安易な例ではあるが、文章の内容、魅力の有無、文学的な色気はさておき、AからBへと変える過程で書き手(つまり私のことだが)は何を試しているのか。それは「語彙力」だ。
三人称で文章を書くと、慣れないうちはどうしても自然と文末が「た」で埋まることになる。「た」の連続を避けるには、語り手の介入、物語の時制など文章の構造を意図的に捻る必要が出てくるが、その際に求められるものこそ「語彙」になる。つまるところ「た」の隙間に用言止めを入れることで文章の単調さを防ごうということだが、であれば、少なからず、言葉を知っていなければ始まらない、という事態に書き手は直面する。「一級のサラダに化けた」の「化けた」を引き出すまでに、作家はどれだけの時間を要することか!つまり文章を組み立てなおそうとする意識が、そこに当てはまるべき別の言葉を求め、別の言葉を求めることが、その人の語彙力を鍛える結果になる。AがBになり、BがCになり、CがDにならずAに戻ることもある。そうした繰り返しのなかで文章は育っていく。これは、読むだけでは語彙力は身につかないという意味でもある。


2026/10/13  楠木かなえ