坂道オーディションに期待すること

座談会

(C)日向坂46 YouTube公式チャンネル

「アイドルの可能性を考える 第四十四回」

メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。

前回の場から引き続き。

「第二の正源司陽子を探せ」

「…スティアフォースさん、僕は、一層、あなたを尊敬する気になりました。それこそ二十倍も、あなたに好意を感じるようになりました」
彼は、ふと足をとめた。そして、私の顔をのぞき込むと、「デイジー、わかるよ、君のその真面目な気持。君はいい男だ。みんな、そうであってくれれば、いいんだがなあ!」

ディケンズ/デイヴィット・コパフィールド

楠木:『デイヴィット・コパフィールド』を翻訳した中野好夫は、この小説の登場人物のなかで、長い時間を経ても生命を保ったままでいられるのはスティアフォースだけだというようなことを言っている。たしかに、一読するだけでもスティアフォースには物語的なものとはまた別のところで身に迫るものがある。読者である自分との近さ、また決定的な遠さ、どちらもある。どちらでもありえる、と言うべきか。器量があって、頭が良く、言葉が上手い。気取っているが、嫌味なところがない。本音をこぼしているのに、しかもその本音は自己の明晰さから人々を見下したものであるのに、人々にはユーモアとして捉えられる。だから、どこにいっても人気者になる。でも本人は、人生の退屈さに怒っている。だから孤独に陥る。だれもがもっている邪な一面を、ほとんどの人間が手にすることのできない才能のなかであらわし、その意味を教えている。スティアフォースのような役割をもった、破滅的なアイドルがいればおもしろいんだけどね。
島:ディケンズ的なビルドゥングス・ロマンで「アイドル」を捉えるなら、中西アルノはアイドルとしての破滅を避けるために個性を枯らしたわけでしょう?ならスティアフォースはその対岸に見つかるんじゃないか。
横森:そんなキャラクターは、すくなくとも乃木坂にはいない。
島:フィクションから抜き出した理想を現実に探し求めることができちゃう点にグループアイドルの魅力があるんだと思いますけどね。
楠木:僕はやっぱり、順位闘争というものに正面から立ち向かうアイドルに引かれるんですね。たとえばセンターに選ばれたとき、屈託した表情とか言葉をもらすメンバーがほとんどだけれど、そういうのを眺めるたびに、僕は、ほんとうかなあ、と、つい思ってしまう。素直に喜べば良いのに、って。加藤史帆なんかは、めちゃくちゃ嬉しい、って話していて、好感をいだいたのを覚えてる。最近なら、”僕青”の秋田莉杏ですか、表題のセンターではないけれど、カップリングのセンターに選ばれて、その曲のデモをメンバーが集って聴くというシーンがあった。それで、イントロが流れた瞬間だと思うんだけど、笑みをこぼしたんですよ、彼女。あの表情は貴重ですよ、今のシーンでは。スティアフォースとはまた違うけれど、野心に正直であることは、価値がありますよ。坂道シリーズにも、秋田莉杏のようなメンバーが必要になってくるんじゃないか。
OLE:乃木坂の5期の問題って、スティアフォースになりきれないって点もあるんだろうけどさ、そもそもの話、スティアフォースからデイジーと呼ばれることになった主人公=ピップのような存在が一人もいないって点が一番の問題だよね。
楠木:言われてみれば、ピップがいませんね。4期なら遠藤さくら、賀喜遥香がデイジーと呼べる。最近なら、正源司陽子がまさしくヒナギクです。5期には……、たしかに一人もいないですね……。
横森:そうなると、6期への期待って否が応でも大きくなるよね。
島:でも5期生は人気がありますよね。5期の成功って「アイドル」からビルドゥングス・ロマンを引き剥がしているように見えますが。
横森:ただ人気があるだけ、とも言える。
島:人気を出すことが一番大変ですよ。
OLE:グループアイドルにたいする人気云々はさ、突き詰めちゃえばテセウスの船をどう捉えるかって話題になるから、結局、デイジーの不在に話が戻ることになるよ(笑)。
楠木:主人公というのはやっぱりどの時代であってもデイジーであるべきだと個人的には強くおもいますね。アイドルの可能性を語ろうっていうんだから、問うまでもないですが。乃木坂は6期、日向坂は5期、櫻坂は4期ですか。これからのオーディションのテーマって「第二の正源司陽子を探せ」になるんじゃないか。もちろんこれは正源司陽子によく似た少女を探すという意味ではなく、彼女のようなの逸材が、乃木坂の5期オーディションの規模をもってしても直接見つけられなかったという点に、希望があるし、課題があるはずです。この日本のどこかにはまだ、正源司陽子のような主人公感に満ちた逸材が、アイドルへの興味をひらくことなく眠っているかもしれない。そうした少女の眠りを覚ますことが、現在の作り手にあたえられた使命・課題なのだとおもいます。
横森:デイジーがいるからこそスティアフォースが生まれるわけだからね。
島:そういえば、5期生には小川彩がいますよね。
横森:能力は高いよ、完成されている。でもこの話題からは外れる気がする。
OLE:小川彩は、むしろデイジーではないことが功を奏しているように見えるけどね。
楠木:ヒナギクというのは、想像とか妄想が生きることの支えにされている、ということだと思います。たとえば、古代遺跡の壁画とか、そういうものに描かれている幻想の生き物、角と翼をもった獣を眺めて、それを古代人のアイデア、古代人の芸術だと考え、感嘆するのか。それとも、古代にはこんな生き物がいたのかと、興奮するのか。僕は、後者のほうが好きですね。そういう少女が、アイドルのなかであっても、やはり主人公として描かれるべきだと信じています。まあ、要するに、そうした興奮をファンに共有させる言葉を作れるのか、つまり言葉に魅力があるのかどうかってことです。
OLE:最年少メンバーが最年少であるうちに大きく活躍しないのも、言ってしまえば「言葉」ってことになるんだろうな。
横森:小川彩もそうだけど、渡辺莉奈とかね。大人びて見えるとか、大人びて見られるけどそれは演技しているわけじゃないんだって、まあそういうことをアイドル自身、情報として発信してる。でもさ、外見はともかく、言葉を見れば、内面はまだまだ子供なんだなってすぐにわかるからね(笑)。彼女たちが大人に見えるってことは、まあ、ありえない。年相応の子、というイメージしかない。まあ、まだまだ若いんだから、仕方ない。
島:しかし高校生くらいだともう言葉の性向というのはある程度見えてくるはずですよ。
楠木:そのとおりですね。デイジーと言ったって、それは子供扱いしているわけではないので。そこは離して考えてほしいね。アイドルを子供扱いすることは、あまりしたくないんだよ、僕は。たとえば、渡辺莉奈が大人びて見えるのは、社会通念上の言葉に縛られているからですよ。大人が社会通念として用いる言葉を、社会のなかで眺めて、そのまま使うから、大人びて見える。問題は、そういった言葉を自分の感情表現として用いてしまうことで、そのとおり社会通念に囚われてしまうという点です。ありきたりな言葉しか吐けない人間になってしまう、ということだね。しかしそれは子供かどうかの問題ではなく、性向の問題でしかない。
横森:言葉の問題を乗り越えなきゃならないって事態は変わらないけどね。ビジュアルがかなり良いだけに、もったいないよ。ダンディ・ウーマンで、横顔美人で、橋本奈々未以来の逸材だよ。
OLE:惜しいよね。
島:言葉の性質を変えるのは容易ではないですよ。
楠木:成長とはまた別の問題ですからね。たとえば、投資・投機の世界では大多数のトレーダーが常に負けつづけるわけですが、それはなぜか。なぜそうしたことが当たり前に起きているのか。普通、人は過去の失敗に学び、成長していくものです。まあ、そうじゃない人間も一定数はいるのかもしれないけれど、大多数の人間は、成長していく。しかしトレードの世界では、大多数の人間が負けつづける。それはなぜか。考えると、まず投資・投機というのは「金」を使って「金」を稼ぐ行為ですから、一般的な職業のように、働いたら働いただけ「金」が貰えるわけじゃない。失敗したら、直接自分の金が減るわけですから、生き死にがかかった仕事ということになる。この状況が一種の錯覚をもたらすんですね。たしかに生き死にがかかってはいるんだけど、だからと言って、実際にはトレードで負けても死にませんから。生き死にというのはあくまでも精神的な問題でしかない。敗北=死という状況のなかで、そのとおり敗北を喫した、じゃあ命を奪われるのかというと、そんなことはない。金がなくなっても、その場で死ぬわけじゃないし、ほとんどの人間は、ほかの手段で金を稼いで、生活を立て直す。そして、この結果が、相場との関わりあいのなかで生き残ることに成功した、という無意識を育むことになる。この無意識が厄介で、結果として生き延びることに成功しているという状態が、生存本能においてはトレードを含めた一連の出来事が自分を生かす結果をもたらしている、という成果にむすびつけられてしまう。トレードで損をした、だから別の仕事で金を稼いでメシを食っている。生活できている。生存本能にしてみれば、生き残っているわけだから、成功なんです。要するに無意識にとっては、トレードに負けることは自己を生かすことだという意味になる。だから次のトレードにおいても、やはり負ける選択を無意識に取らされてしまうんですね。つまり過去の失敗に学ぶことができず、さらには過去の失敗を繰り返すことになる。前回とは異なるアプローチを取ろうとすると、無意識がそれを察知して、それは危険だと信号を送る。無意識に逆らうことのできる人間はいませんから、トレーダーは負けつづけることになる。こうした情況をホメオスターシスと表現したりもする。要するに「習慣」ですね。言葉もまた「習慣」です。自分の言葉を変えるには、この「習慣」に打ち勝たなければならない、ということです。自分の言葉を変えたいなら、ありきたりですが、本を読めば良い。身近にいる大人からでは教わることができないものを、本は教えてくれるはずです。もちろん、アイドルのオーディションに応募するその行動だって「習慣」を変えるための一歩だからね。
OLE:こうした啓蒙を聞いていると、スティアフォースというのはアイドルを眺める側であって、その視点がアイドルをデイジーに描き上げるんじゃないか、と思ってしまう(笑)。


2024/08/17  楠木かなえ