SKE48 向田茉夏 評判記

SKE48

向田茉夏 (C) 日刊SPA!/2018 FUSOSHA

「偽りの笑顔」

向田茉夏、平成8年生、SKE48の第二期生。
グループアイドルとして、物語の質と文量、ともに最高点を付けられる。長すぎず短くもない。ステージの上で、アイドルが映す姿形、感情、そのすべてがぎりぎりの線で保たれている。
平成の終わり、令和の始まり、近年のアイドルの特徴のひとつに、アイドル活動の冗長さ、まるで流行りのエンターテイメント小説のような、物語の冗長さがあることは、まず間違いないだろう。もちろん、厚みがあり、質の良い物語のみ評価されるという傾向はアイドルファンにとって嬉しい限りだが、アイドルを演じる少女にとってはどうだろうか、疲弊を隠しきれていないようにうかがえる。浩瀚された、日常を演じる日々の長さによって多くの少女が夢に対する希望のあり方を見誤り、本当のしあわせを見失っているように見える。
その点において向田茉夏は自己の演じるアイドルの最高点をマークしたままその物語に幕を閉じた人物だと、評価できるだろう。そしてこの点が、つまりアイドルがもっとも美しい状態にある内に卒業を選択したことにもたらされる悲喜劇が、このアイドルの特筆点になる。
アイドルの卒業にたいするファンの動揺がまだまだ激しかった時代、13歳でデビューした向田は18歳でアイドルを卒業する。その5年間には、この現代でアイドルに変身することになった少女の喜怒哀楽の劇が克明に描き出されている。アイドルとして過ごした時間が、幸福か不幸なのか、といった狭い了見、範疇で語られてはいない。
当然、アイドルとしての実力も文句なしである。SKEにあっては、人気と質の合致した希有な登場人物であり、とりわけビジュアルに優れたアイドルであり、もはやグループの枠から抜け出て、アイドルシーンそのものにおいて最高水準に達している。瑞々しく、アンバランスでキュートなルックスをもちながら、佇まいのシックなアイドルで、当時の映像を今眺めても、まったく古びて見えない。ダンスにも魅力がある。たしかに、テクニカルにおいては、近年のトップアイドルの足元にも及ばないかもしれない。けれど「表現」の魅力を問うならば、まったく引けを取らない。スポットライトに映し出される姿形の鮮烈さ、これはもう持って生まれた才と云うほかにないが、この一点において、向田茉夏に比肩する現役アイドルはきわめて少ない。
しかしなによりも特筆すべきは、”会いに行けるアイドル”という、AKB48の誕生によって決定づけられた、アイドルとファンの新しい距離感、つまり仮想恋愛のごとき空間において、向田は、威容に満ちていると表現するしかないほどの、希求力をそなえていたという点だろう。

近年のトップアイドルを論じる際に、つまり批評を試みる際に、残念に想うことがある。それは、アイドルの資質を表す分野において、いわゆる”はしり”、”さきがけ”となる存在が島崎遥香以降生まれていない点だ。それは、現在のアイドルシーンにおいて主流となった乃木坂46にしても同じことだ。たとえば、グループの多くのファンに未だ経験したことのない喪失感を卒業の二文字によって与えた深川麻衣の快挙。アイドルが卒業した後も、ファンが「彼女」の後姿を探し求め、彷徨う、という、ノスタルジアの世界の入り口を開いた彼女のその快挙は、乃木坂の歴史においてたしかに前人未到の物語と云えるが、しかし実はすでに、深川と同じ時代にアイドルを演じ生きた向田茉夏によってそれは踏破された地でもある。
今でも、何かのきっかけで彼女の名前が話題に挙がると、感情を剥き出しにして、向田茉夏というアイドルが残した物語、それが「偽りの笑顔」であったのかどうか、虚構から抜け出て現実に帰還した彼女の素顔を、アイドルの卒業理由を「転向」として扱うべきか、議論を交わすファンは多い。これは、情動を引き起こした人間の典型と云えるのだが、しかし情動とは、基本的には、揮発性の高い感情だ。4年以上も前の出来事や人物の残像に、継続して情動を宿し続ける原動力とは、やはり恋愛感情にほかならないだろう。
恋愛において、悲しみよりも怒りが勝り、その炎を絶やすことがどうしたってできない、という場面を探るならば、それは往々にして、深く愛した恋人と上手く別れることができなかったとき、になるのではないか。いや、そもそも、愛する人と別れるとき、静かに上手く別れることなんて、きっと、誰にもできやしない。
たとえば村上春樹の長編小説『ノルウェイの森』が純文学作品でありながら恋愛小説として大衆に好まれたのは、物語の最後のシーンにおいて、主人公の「僕」がヒロインである「ミドリ」に救われるという、現実性を無視した、つまり純文学性を裏切るエンターテインメント性を持つからである。一方で、エンターテインメントの地平に立つ新海誠は映画『秒速5センチメートル』において、『ノルウェイの森』と似たシチュエーションを用いるも、新海は主人公に救いをあたえなかった。愛する人との再会をけして許さなかった。エンタメ作品でありながら鑑賞者の想像力を裏切るそのストーリー展開をして、新海誠はジャンルの枠を越えて、高い評価を受けた。
アイドルシーンに話を戻せば、アイドルが卒業した後も、ファンがその後姿を探し求め、彷徨う、というノスタルジアの世界を作り上げた深川麻衣と向田茉夏に決定的な違いがあるとすれば、それは、ラストシーンに救いがあったのかどうか、という点に尽きるだろう。向田は『秒速5センチメートル』と同じ顛末を選択している。転向し、救いはあたえない。絶対に、ファンとアイドルを”再会”させない。だから、ファンはもだえ苦しむことになった。悲しみよりも怒りが勝ちその炎を絶やすことがどうしたってできない、という情況に落ち込んだ。
ある集団は、孤島に牢獄された人間の生霊のように夢遊し、またある集団は、激情に駆られ、ゾラの『居酒屋』の登場人物たちのように、酒を飲みながら、小刻みにふるえる手を眺め、涙を流している。

これ以上何を失えば 心は許されるの
どれ程の痛みならば もういちど君に会える
記憶に足を取られて 次の場所を選べない
いつでも捜しているよ どっかに君の姿を
向いのホーム 路地裏の窓 こんなとこにいるはずもないのに
いつでも捜しているよ どっかに君の破片を
旅先の店 新聞の隅 こんなとこにあるはずもないのに

山崎まさよし/映画『秒速5センチメートル』主題歌 「One more time,One more chance」

向田茉夏の達成とは、たとえば橋本奈々未に代表されるように、後世のアイドルに反復される物語になったが、向田茉夏以前に、向田が到達した境域に足を踏み込めたアイドルは一人も存在しない。ゆえに、向田茉夏というアイドルはワンアンドオンリーであった、と云える。

 

総合評価 80点

現代のアイドルを象徴する人物

(評価内訳)

ビジュアル 16点 ライブ表現 16点

演劇表現 14点 バラエティ 16点

情動感染 18点

SKE48 活動期間 2009年~2014年