その恐怖、ほんとうに恐怖?その不安、本当の不安?

「アイドルの可能性を考える 第七十二回」
メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:写真家・カメラマン。
「AIに魂はある?」
楠木:オルハン・パムクの『雪』を久しぶりに読んでみたけれど、どうも僕は翻訳が幼稚に思えてしまってね。これは出版当初からよく囁かれていたことでもあって。そもそも信じられないことに最初の100ページくらいのあいだに僕は明らかな誤字脱字・推敲漏れを2つも見つけたんだよね。一応、ノーベル賞作家の作品なんだけどね(笑)。編集・校正の段階ですでに手が抜かれてたんじゃないかと思っちゃう。まあ、僕はトルコ語なんて読めないから、なんとも言えないし、学べるところもあるにはある。たとえば、翻訳の上手い下手はさておき、翻訳によってトルコ語でも日本語でもないなにかがそこにできあがっていることで、文章の巧緻の問題が置き去りにされて、そこに何が書かれているのかという点こそが問題意識になるので、文章の上手い下手はプロとしてはさして問題にはならないということを改めて知るというか。
横森:トルコ語って日本語に似ているって言うけどね。
楠木:なんか、そういう次元じゃないんだよね。アイドルの下手くそな踊りを見ている気分になるというか。アイドルとダンスの関係って文学の翻訳に似ているから。
島:翻訳ってそれ単体ではなかなか芸術として評価されませんからね。やっていることは紛れもなく芸術なのに。
横森:大衆が信じる芸術ってアンドリュー・キンズマンとかさ、ああいう才能のことだからね。
楠木:才能って話題なら、僕はやっぱり大野愛実はすごいと思うね。『イチャイチャ虫』のパフォーマンスひとつ見ても、毎回、動きが変わる。踊り終わったあとに、あるいは、踊りながら、ここはこうすればよかった、というのを考えていて、それをさっそく次に取り入れているんじゃないかな。そういうのって正解はないんだろうけど、でもファンは毎回かならず異なるアイドルを眺めることになる。もちろん、そうした向上心をもったアイドルはほかにも沢山いるはず。でもそれが目に見える形で、作品を成り立てるかたちで提示できているのは、現状では大野愛実だけだと思う。作品単位で言えば、佐藤優羽も良いね。僕は最近、彼女がお気に入りです。
横森:アイドルってさ、しばらく話題に出さないと忘れちゃうもんだね(笑)。誰がだれか分からないや。
島:興味を宿しつづけるって点にヲタクになれるかどうかの条件があるんじゃないんですか?文学は生きるうえでヒントを与えてくれますから、興味を宿すのが容易ですよね。エンタメとなるとこれが一気にむずかしくなる。
横森:ヲタクになれるかどうかの条件なら、アイドルの場合はさ、生活が困窮したときにそれに縋りつけるかどうかって点になるんじゃないの。苦しいときにアイドルに縋れるのか、それとも、今はアイドルどころじゃねえってなるのか(笑)。ヲタクはアイドルに縋りつけるはず。
楠木:何にしても学べるかどうかって点じゃないかな、やっぱり。アイドルを語る、批評とかそういうのを書くというのは、小説にしてもそうですが、作品から学ぶという姿勢がなきゃだめなのは当然で、アイドルから、秋元康から、生きることの何かを学んでいなきゃ批評なんて書けないと思うね。実際に、僕は大野愛実の踊りから大事なことを学んだ気がする。アイデアをどんどん継ぎ足していくことで既存の作品の枠からどうにかして抜け出ることができるんじゃないかと。言葉にしてみたら、すごく単純ですよ。でも実際に、そうした思惟にたどり着くのって実は大変で、なにかきっかけが必要になる。柄谷行人だって、「自由」は自由にしろという命令があって初めて叶うっていう、マルクスを一読すれば考えるまでもないことに気づくまでに何年もかけている。じゃあみんな柄谷行人と同等なのかと言えば、そんなことはなくて、同じ答えでも、そこにどうたどり着いたのかで価値が変わるんだと思います。だから僕は最近は、それがどうした、ってことでも、それにどう辿り着いたのかっていうのを考えることを大事にしている。と言うのも、最近、書き上げた物語がね、あれこれとアイデアを重ねていったら結局、映画の『The Village』と同じになっちゃって、災害で孤立した村が舞台の物語なんだけど、そこから設定を弄りまわしていたら『The Village』と似たような話になってしまった。当然、これじゃだめだとはなるんだけど、でもそこまでたどり着いたことに価値があると思う。車輪の再発明とはまったく別ですよ。
横森:『The Village』ってAIの登場で近未来的な話に感じてくるね。
島:人間は社会からの隔絶によって生き残りを図りますからね。ペストもコロナもAIも同じです。
楠木:AIを前に、漠然とした不安をみんな抱えているはずですよね。いま感じている不安が本当に自分の生活を脅かすものなのか、いまいち判断できない。その判断できないという感情が恐怖をさらに煽る。悪い予感って、大体は現実のものになるから。そういう忍び寄ってくるものをどうにか物語で撃てないかと考えているんだけど、小手先で設定を変えても、AIの進化のスピードに負けちゃうんですよ。AIはこれこれこういう部分に問題がある、とか言ってもね、たとえばチャットAIなら回答にミスがあるとか、下手に能力があがったせいで、最初に示した回答をそのあとのやりとりで自己正当化してユーザーを納得させるというノリになっちゃっているとか、その手の些細な問題点はあっという間に改善されちゃうんで、文章・物語に残す意味がない。
横森:サイバーパンクでも良いと思うけどね(笑)。AIを用いた犯罪に国が対応できない場合、個人は企業を頼るしかなくなる。金が集まれば企業はどんどん権力を増す。企業が強くなれば、国が必要なくなる。そういう極端な社会は現実的にあり得るのか。歴史をふりかえれば開拓時代のアメリカなんて国がぜんぜん役に立たなくて、個人個人が犯罪者・侵略者と闘ったわけだから、ぜんぜんあり得る。
島:もっと「自我」や「意識」の話題に広げるしかないですよ。
横森:今のAIに自我があるって言われて、いちばん驚くのは科学者だろうな(笑)。目の前にある機械に魂が宿ったって言われてるわけだから。仮に、言葉を出力すると魂がそこに宿るならさ、印刷機にも魂が宿ってなきゃおかしい。
島:宗教の話題になるわけですね、結局は(笑)。
楠木:人間の魂を「記憶」だと仮定すると、記憶の大部分は言葉で作られているから、言葉を出力するAIにも魂があるということになるよ(笑)。人間の生きた痕跡=記憶を完全にコピーすればそれは本人に変わりがないというSFじみた発想を肯定するなら、魂というのは記憶ということになるんじゃないか。もうこの世にはいないのに、その人の確かな記憶を持っている存在が目の前に現れたら、果たして人はその存在を他人として見れるだろうか。この手の空想は、これまではSF小説や映画、漫画やゲームの世界に限った話ということで生活から切り離して考えることができたが、AIが誕生した今、現実味のある話題になってしまった。
2026/10/24 楠木かなえ

