ブログ=自慰行為から脱したい?なら記事を売れ!

「自分の言葉に値札をつける」
いつものように座談会をひらいたが、今回はアイドルの話題は出なかった。特に今回は小説家を夢見る若者や、批評家として働く後輩などが集まったから、なかなかアイドルの話題を切り出すタイミングがなかった。こう書いてみると、やはり私は「アイドル」に後ろめたい気持ちをもっているのだろうか、などと考えてしまうが……、それはさておき、今回、文章論を繰り広げるなかで、そもそもの物書きの姿勢のようなことを語った部分があった。私は最近、アイドル批評というのをもっと沢山の人間にしてもらいたいというビジョンをもつようになったので、何の参考になるのかもわからないが、一応、ここに書き起こしておく。
楠木:ネットの広告って下品ですよね。なんで下品かと言うと、記事の中だろうがなんだろうが、お構いなしに表示されるからです。物書きとしてまだ駆け出しだった頃、自分が書いた記事がネットに掲載された際に、自分の文章の中にわけのわからない広告が差し込まれているのを見るたびに、げんなりしたことを今でも覚えています。だから「アイドルの値打ち」を立ち上げた当時、僕は管理者に記事中には絶対に広告を貼らないでくれと約束してもらった。じゃあ、そもそも広告を貼らなければ良いじゃないか、と指摘されてしまうかもしれませんが、広告を貼る=自分の言葉でお金を稼ごうとする姿勢は、物書きにとって、とても大事なことなんですね。
若い頃、先生(師匠筋にあたる作家)から僕はよく、ブログ、SNSはやめておけ、というアドバイスを受けた。先生いわく、それらは所詮は自慰行為にすぎない、とのことだった。プロの作家になる、自分の作品が世に流通する、これは最低でも一人、出版社に勤務するプロの編集者に認められなければ叶わない。そのハードルをまずは越えなさいとのことだった。だから基本的には、大手の出版社が主催する文学賞を受賞してデビューすることが望ましい。実際にプロになってわかったのは、この考えは、自分の言葉に値をつけるという意識に通底しているという点です。金にする気のない文章を書いたって、読み物になるわけがないんです。
ブログやらSNSやら個人でも自由に言葉を発信できる時代にあって、プロの物書きとそうではない人間とのあいだに決定的な差があるとすれば、自分が書いた言葉・文章に銭金を投じる人間がいるかどうか、という点に尽きるはずです。ネット・ユーザーにどれだけ読まれても、SNSのフォロワーにどれだけ「いいね」をされても、自分の言葉・文章に銭金が投じられないのであれば、それは結局は密室での自慰行為でしかない。自分の感情をただ垂れ流しているだけの、自己満足の世界にすぎない。べつにそれで構わない、という人もいるだろうし、それはそれで結構なことで、だれに文句を言われる筋合いもない。だってそれは自慰なのだから。自慰行為を世界に向けて開示している、という感覚は、インターネット時代ならではのものであるし、誰にだって心地の良いものであるはずです。もちろん、それがブログやSNSの醍醐味だとも言えるでしょう。
でも中には、それでは嫌だ、それじゃ満足できない、自分の言葉を他人に伝えたい、と思う人もいるはずです。そういう人が、作家になるんですね。自分の言葉・文章は自慰行為ではない、と否定の感情が芽生えたのなら、じゃあそれを売ってみればいい。それでどれだけの読者が得られるのか、試してみればいい。そこに金銭が投じられるのなら、ひとまずそれは読み物になっていると言えるでしょう。その書き手の考えを知りたい、その書き手の文章には毎回、持ち帰りたいと思う何かが必ずある。読者がそう考えるからこそ、「言葉」が売れるんです。
2026/11/01 楠木かなえ

