増田三莉音ちゃんに、ほだされちゃった。

座談会

「アイドルの可能性を考える 第五十四回」

メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:写真家・カメラマン。

もはや、ただの雑談です。

「櫻坂46の4期生ドキュメンタリーを観る」

横森:こういうのを見ると学生時代のオリエンテーションを思い出すんだよね。一人ずつ、みんなの前で校歌を大声で歌うんだよ。出会ったばかりの奴と三日三晩おなじ部屋で過ごしてさ、組体操もやったな。
島:青春ですね。
横森:そんなにキレイなものじゃないけど、まあでも同じ部屋だった奴らのことは今でも憶えてるな。
OLE:最初にこういう過程を見せておけば、これからさきも作品毎にこれだけこだわってやっていくんだって、約束することになるんでしょう。その分、作り手も覚悟を決めているわけだ。
楠木:目黒陽色の、ダンス経験者の苦悩ですか。着眼点があってドラマ的で素晴らしいと思いますよ。最初の紹介動画ではあまり風采が上がらないメンバーでしたが、これを観ると魅力的に感じますから。
島:講師の言葉が台詞的なので、フィクションを作ろうって意識があるんでしょうね。
OLE:カメラを向けられているなかで喋るわけだからね、彼女たちも。
楠木:『静寂の暴力』への解釈が詩的であったり、散文的であったりする点がおもしろい。この曲は人称的には解釈と言うよりも結局は投影するしかないんだろうけど。
横森:この曲のMVに映ってるのってパー線(久留里線)だよね?
楠木:これって木更津だったんだ……。
OLE:木更津近郊は都内からアクセスが容易だからロケ地に選ばれることが多いよね。アカデミアパークや富津岬。最近だと亀山にある廃校がドラマ撮影で使われてる。”僕青”もアカデミアパークでMVを撮っているはず。

横森:今まで気づかなかった?
楠木:おそらく。どこで撮ってるとか、考えたことはないはず。たしかに、これは西口近辺だね。
島:木更津になにか意味があるんですか。
横森:まだ若い頃、木更津のライブハウスで彼はよく歌を唄ってた。
島:ああ、そういえば。

楠木:その頃とはまた別で、僕は新人賞を獲ったあと、なにも書けなくなった時期があって、当時木更津のホテルに長居して、深夜から早朝にかけて西口のシャッター街をよく徘徊していた。そう考えると『静寂の暴力』の世界観って、僕のなかでは木更津の街の背景と一致してしまいますね(笑)。むかし使っていたiPodを探せば、木更津で撮った写真があるかもしれない。見つけたら、今回の記事のトップ画像に使用します(笑)。
横森:屈託ってやっぱりノスタルジーになるんだ。
島:屈託って点なら、僕は日向坂46の『Love yourself!』がおもしろいと思って、あれは秋元康の二人称ですよね。でも小坂菜緒の二人称でもあるんですよ。歌をうたうのがアイドルだからと言いたいのではなくて、アイドルソングの文体を考えると、言葉が小坂菜緒から発せられていると受け取るしかない。
OLE:『Love yourself!』は『しあわせの保護色』に似ている。卒業ソングのつもりで書いているんじゃないか。
楠木:小坂菜緒は「音」が心地良いんですよ、やはり。氷が入ったグラスのような、フェードアウトできない心地良さがある。

「アイドルの個性をファンは語れるのか」

OLE:4期のドキュメンタリーを作っている横でさ、3期の新しいセンター(的野美青)が、まだ自分の個性がわからない、みたいなことを言っていてさ、さすがにいまそれを言うのは渡世的にすぎるんじゃないか。
横森:個性なんてのは、そこまで深刻に考えるものじゃない。試しに、同じ風景をみんなで並んでカメラで写してみればいい。おなじ絵なんて一枚もないはずだから。
楠木:言いたいことはわかる。でも、それは個性ではなくてまだまだ感性の範疇だね。これは僕も若い頃にほかの批評家から学んだことなんだけど、たとえばアイドルのそれぞれがホワイトボードに自由に手書きで三角形を描いてみる。手書きであれば、当然、同じ形をした三角形は出現しない。つまり書き手の感性がそこに見える。ただ、悟性というものもあるからね。悟性は、ホワイトボードに並んだ図形を眺め、それを三角形だと認識することだから、つまり悟性のまえでは基本的にはすべておなじ解釈に収まってしまう。的野美青が自分に個性を見いだせないのだとすれば、それは櫻坂46という解釈に溺れているからだろうね。
島:要するにそれは形式主義、古い言葉でフォルマリズムですね。構造への批評は、もうかなり前に批判が確立していますが、個性の観点でそれに苦しめられている若者がいるのは、考えさせられますね。櫻坂はモチーフが一貫しているから、アイドルは個性を打ち出すのに苦労する。
楠木:以前、久保史緒里がなかなか興味深いエピソードを語っていて、学生時代に友人と野球の話題で盛り上がっていたら、通りすがかった野球部の男子に嫌味を言われたらしい。想像しただけで億劫なシチュエーションだけれど、実際に、野球に青春のすべてを捧げている人間の「野球」に向ける言葉というのは、やはり経験的また形式的な強さがあるはずです。でもね、そうした言葉に立ち向かえる言葉があるのか、考えることがまず批評ということになるからね。現実としては、小説を書かなくても小説を批評できる。バイオリンやピアノを弾けなくても音楽を批評できる。演技ができなくても役者を批評できる。スポーツも同じです。と言うか、プロ野球で言えば、選手がもっとも求めるのは、ファンの声援、称賛なんじゃないか。つまりそういう部分を言葉にできれば、言葉が作品になる。たとえば、ダンスを考えることでアイドルを語る、理解する、解釈する、アイドル自身を納得させる言葉、またアイドル自身、気がついていない部分をえぐり出した言葉…、こうした視点において上野隆博の言葉に勝るものはないはずですが、しかしそれでもファンとして、それとは別の場所で、やはりダンスのなかでアイドルを語ることが、僕らにもできるんじゃないか。
OLE:久保史緒里の意識の高さってその種の経験から来てるのかな。
横森:極度の現場主義に見えるよね。
島:野球って言語の世界ですよね。時間の概念がないので。なら小説的な広がりがあるってことです。言語の世界は、読み手の想像・創造の世界なので、読み手の数だけ語れるものがある。つまり、自分の個性を知りたいなら、自己において作品化されている部分はどこなのか、自分を眺めた際に抱く自己の解釈と、他人が自分のことを眺めた際に抱いた解釈に齟齬があるのはどの部分なのか、探せばいい。

「批評家は己の時代のとりこになってはならない」

楠木:6期生を見ていると、やっぱり増田三莉音がすごく良い。すべてに夢中で、眼の前に起こる出来事すべてが大ごとだっていう、そういう時期にある。でもあとすこしすれば、デビューしたての今の自分を見て、まるで他人に感じるような、今の自分を応援してやりたくなるような、そういう日がくるはずです。つまり、まさしく今、成長の真っ只中ということだから、それだけに今の感情って思い出すことがむずかしくなるはずです。だから眺めるファンにしたってね、今の彼女の姿は、束の間で、貴重だってことです。
横森:無垢すぎて、何も言えなくなる。
島:わかります(笑)。幼稚だとかそういうのとはまた別で、これはもう神聖です。清らかであるから、汚れきった僕たちでは、触れることに躊躇する。
楠木:デビューしたばかりの少女の足を引っ張るような真似はできないな、って思っちゃうよね。
OLE:批評にしても評判記にしても、それを書かせないアイドルだって意味では、すこぶる現代的だ(笑)。
楠木:そういう意味では、僕にとっての「時代」は正源司陽子なんだろうな。増田三莉音を前にしてパフォーマティブを振る舞うというのは、ちょっとむずかしい。
横森:まあ増田三莉音は特別だとして、森平麗心って子もなかなかの逸材だと思う。
OLE:うん。
楠木:度胸があって、才気が感じられる。ビジュアルも良い。この二人に、僕は注目したいかな。


2025/05/28  楠木かなえ