STU48 溝口亜以子 評価

溝口亜以子(C)stu48.official*/instagram

「フィクティブ」

STU48・ドラフト3期生、溝口亜以子は「精悍」と「素朴」をレインコールのように全身から放つビジュアルの持ち主である。ダンスも巧い。表現力については、限定された語彙によって感情がつくられているような、答えの数があらかじめ決められた乏しさが目立ち、”彼女は今、何処にいるのか”という探求心への誘致に失敗しているが、ステージの上で存在証明を試みようとする”訴えかけ”は、在る。季節の記憶という観点から、どの時代に生まれても、未来でも過去にでも、それを眺める観衆に”変わらない”郷愁を抱かせる美を魅せており、成長共有というアイドルのジャンル的な概念の延長として「正統」に与する容貌と云えるが、現代のアイドルシーンのなかにあっては、メインストリートからは逸れたタイプのアイドルに映る。群像劇の収斂がなければ、丹生明里のようなアイドルが「アイドル」として我々の前に立ち現れなかったのではないか、という問いに、溝口亜以子も当て嵌まるからである。
丹生明里と異なるのは、溝口亜以子の端正で明朗な”イメイジ”から受け取る自己完結性に、アイドルとして誕生した時点で、アイドルを演じる架空の箱庭の広さが決定づけられているのではないか、と予感させる「不吉」が内在している点だろうか。その可能性の幅への認定を拒絶するように、溝口亜以子は虚構という”もうひとつの別の世界”への入口を、扉を、完成させていない。現在の彼女が作り出そうとするアイドルには奥行きが不在しており、ある種の不気味さがないように映る。

かつて、戯作者近松門左衛門は「真実は虚実皮膜にあり」といいました。真実は、現実と虚構との微妙なはざまにあるということですが、「嘘」を通過しない限り「実」には行けないという、物語を創るうえでの肝がこの言葉にはあります。どんな真実も嘘=虚構の助けを借りなければ、真実として輝くことはありません。他人に真実を伝えたいと望めば望むほど、「虚構をつく」技術に、あなたは長けなければならないのです。

福田和也 (福田和也の「文章教室」)

アイドルが自身のストーリー(真実)をファンに物語る為にくぐり抜けなければならない命題に「矜持」があるが、その一つに、あるいは土台として虚構(もうひとつの別の世界)の存在があるのは間違いない。溝口亜以子はその虚構への入り口の扉を発見していない。

タクティクスを孕んでいるにせよ、同時代人という境遇を看過して同業者への憧れを口にするアイドルは多い。職業としての「アイドル」になることが少女たちにとっての夢であり、特別な運を求められるハードルとなった時代であるから、陳腐な憧憬の発生は当然の成り行きともいえるが、アイドルに就くことを宿命ではなく奇跡としてのみ、処理してしまう点は看過できないあやまちである。なぜなら、恋い焦がれたアイドルに、彼女たちが立つステージと同じ場所に少女がたどり着く時(カタルシスの訪問があるはずだが)、奇跡との遭遇としてストーリーが作られて行く過程で対象のアイドルと止揚さえもする可能性、それが”アイドルに成った奇跡”によって消却されてしまった、と云えるから。私がドラフト3期生の中でもっとも注目する溝口亜以子も、アイドルに憧れるアイドルである。おそらく、それが、彼女にとっては、虚構の発見をおくらせるクライシスになっている。

クライシス、深刻と表現する理由は、溝口亜以子が憧れとして名前を挙げるアイドルたちと、彼女自身のビジュアルから感じる資質が殆どかわらないという点にある。これほどのアイロニーはないのではないか、とおもう。彼女は矜持を育む境遇に立っていないと捉えてもよい。溝口亜以子と同じようにアイドル好きであった齋藤飛鳥は、エースという期待感に包まれている自覚を得た現在、”アイドル好き”という態度をひけらかすことはない。平手友梨奈との対談も、平手友梨奈の出現を歯牙にもかけない態度をとってみせた。まさしく、王者の風格(矜持)と云える。それは、やはり、境遇によって与えられた立ち居振る舞いだろう。アンダーポジションに立っていた頃、テレビに映るグループのなかに不在する自分、不在中に自身の名前が話題に挙がったのを観て、彼女は情動を引き起こす。そして、そのような感情の流路、涙の存在をファンに伝えるストーリーをしっかりと作った。虚構の扉はすでにひらかれていた。数えきれない読者がその入り口から別の世界へなだれ込んだ。齋藤飛鳥が、その光景を作り上げたことは「運」なのだろうか。私には必然におもえる。齋藤飛鳥は必然を手繰り寄せた、と云える。境遇(必然)とは”行い”によって手繰り寄せるものなのだ。

虚構に踏み入ることができない、虚構の存在に気付くことができないままのアイドルも、もちろん、存在する。佐藤妃星、星野みなみ、彼女たちは意識的に、あるいは無意識に、虚構の存在を看過している。そして、アイドルとして成立もしている。虚構を作らないアイドルの演技とは、石を削らずに自分の身を削りながら(アイデンティティを喪失しながら)彫刻をつくる行為と云える。

溝口亜以子の精悍さが飄々と映るのは本心を隠そうとする意識の働きかけの溢れである。彼女はファンの前で、まだ、心を裸にしていない。それは、やはり、彼女に「虚構をつく」技術が欠如しているからである。だから彼女は、物語(日常)を溢せても、作ることはできない。沖侑果が自身の情動をファンの無理解に押し殺されたことにより、虚構との遭遇のきっかけを掴んだが、溝口亜以子のきっかけはどのようなものになるのだろうか。彼女のようなノスタルジックなフラジャイルを抱えた少女が虚構(うそ)をつくという行為を身に着けたら、自己の可能性の幅を貫き、グループの抱える特色をすべて塗り替える人物になるのではないか、と想像する。

 

総合評価 52点

問題なくアイドルと呼べる人物

(評価内訳)

ビジュアル 13点 ライブ表現 13点

演劇表現 7点 バラエティ 9点

情動感染 10点

STU48 活動期間 2018年~

評価点数の見方

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