乃木坂46 日常 評価

乃木坂46, 楽曲

 

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「日常」

 

「『純粋な現在とは、未来を喰っていく過去の捉えがたい進行である。実を言えば、あらゆる知覚とはすでに記憶なのだ』」

(村上春樹「海辺のカフカ」)

歌詞については、意欲作である。書き出しをみれば分かる通り、「日常」を”アンリ・ベルクソン”の云う、『未来を喰っていく過去の捉えがたい進行』として描いている。過去と未来が交錯する時間の中心点(日常)を「列車」で物語っている。自身の意思とは関係なく移動をする列車(日常)からの脱出を自己超克とするのは、やや陳腐であり、主人公が列車の乗客をターミナルキャラクター(末端的人物)として想像力の底に押しやっていく心の揺きにイノセントさを感じるものの、「とにかく行動をしない人物」をこれまでに、くり返し描いてきた作詞家が、この楽曲ではその人物たちの葛藤に焦点を絞った、着手した、という点に作詞家が従来の皮を破ろうとしているのではないか、という期待感を抱かせるのである。そして、その胎動からの”移動”は乃木坂46のアンダーメンバーが作り上げるアイドル(虚構)の心象風景とリンクしていくのである。

列車に揺られる主人公がアイドル(アンダーメンバー)であることは云うまでもないが、上記で述べたとおり、主人公=作詞家と捉えることも可能である。作詞家自身が俯瞰ではなく、”アンダーメンバー”であるアイドルたちの目線に降り立ち、日常における一つの視点として、彼女たちの視線のさきを写実したことにより、楽曲全体を文学と呼べる水準にまで押し上げた、と評価できる。アンダーメンバーである彼女たちの立場、立ち位置が、使命に従って生きる受動的なものであっても、作詞家にとっては、そこからの脱出は(可能性の幅を押し広げる自己超克は)、あくまでもアイドルの自発的能動性に依存するものであると、自身のイデオロギーを明確にし、トレーに載せて提出した点に無自覚な怜悧とリアリティーを感じるが、これはアンダー楽曲に求められた命題を充たす行為でもある。

映像作品については、瑕疵が目立ち、未成熟さを隠しきれていないものの、その虚構自体がアンダーメンバーの不完全さに重なっていくため、視野が大きく組み替えられてしまうような、倒錯した止揚が起きている。きわめて、優れた映像作品と云える。
”儀式”によって「眠り」が筐体を替えて繰り返される世界。その世界ではそれが日常化している。この現実とは異なる、別のもう一つの世界で描かれる日常は、現実世界で作られるアイドルの日常(虚構)の寓話である。その世界で実る果実は彼女たちが別の場所へ旅立つための入り口、『空扉』である。眠りによって、その人物がどこへ往くのか、眠りから覚めた岩本蓮加が何処から舞い戻ってきたのか。入れ替えに眠った北野日奈子を見れば、そのさきにある場所が(アンダーメンバーにとって)どのような場所なのか、想像することは容易だろう。また、仮に、この青い果実を”禁断の果実”として表現しているのであれば、そこから抜け出すことは、彼女たちとって、禁忌とされる行為になってしまう。ぬけがけは許されない、ということである。これをアイドルである彼女たちの日常に重ねてみると、興味深いアイロニーとして機能するのではないか、とおもう。

瑕疵を挙げるならば、アイドルにサングラスをかけさせる、というのは、そこにどのようなメタファーを付与していようとも、その光景自体が酷く滑稽なものであり、ファンの期待を裏切る行為である。映像作品だけではなく、楽曲そのものの価値を損なうアイデアと云える。これは、つくり手の想像力と客観性が欠如している証しになるだろう。

 

総合評価 77点

現在のアイドル楽曲として優れた作品

(評価内訳)

楽曲 16点 歌詞 15点

ボーカル 15点 ライブ・映像 17点

情動感染 14点

 

歌唱メンバー:伊藤かりん、伊藤純奈、岩本蓮加、川後陽菜北野日奈子久保史緒里阪口珠美、佐々木琴子、鈴木絢音寺田蘭世中田花奈中村麗乃、樋口日奈、向井葉月山崎伶奈、吉田綾乃クリスティー、渡辺みり愛和田まあや

作詞:秋元康

評価点数の見方