ブログの値打ち 乃木坂46 ブログランキング 2022年版

乃木坂46, 特集

「アイドルとブログ、その魅力を読む」

文章とは、いくつかの文で、まとまった思想や感情を表したものであり、それを書くこと自体が、考えることであるような、自分自身のものでしかありえない、思惟が運動しているものです。
精神の運動神経を鍛えることのできるもの、私はそれを「文章」と定義しています。
ブログなど「ただで読める」情報と、私のいう「プロの文章」とはどこが違うのか。
前者は、主に感情や情報を噴出、吐露しているだけで、そこに工夫はない。密室での自慰のように、自分の快感のためのもののように思われます。書き手に受け取る側の姿が見えていないようにも見受けられる。もちろんそれだけで満足するならそれでいいのです。
けれどせっかく「何か書こう」という意思を持ったのだとしたら、それをもう一歩進めてはどうでしょうか。自分の文章をどんな人が読んでいるのか、受け手の姿を明瞭にする意思を働かせてはいかがでしょうか。

福田和也/書く力

ブログの魅力とはなにか。日記だけが持ち得る希求とはなにか。それは、独りよがりな、他者の理解を何一つ求めない、読みやすさや美文のかけらもない、閉じた思考の純粋さであることはまず間違いない。ではなぜ、そうした心地の良い「密室」から抜け出そうとする「意思」を持たなければならないのか。
答えは明白で、それは単に、ただの日記をウェブ上に公開しても誰にも読まれないから、である。自己の成長・飛翔を記録した日記の体裁を保ちながら、しかし自分以外の誰かにそれを読んでもらいたいと願い、ある種の称賛を欲するならば、当然、その誰かの利益になるような、要するに他者に理解され得る文章、他者を衝き動かす、共感されたり時には反感を抱かれる文章を書かなければならない。
つまり自分以外の誰かに自分の言葉を伝えるには、本来そこにあった、丸裸の思想にあれこれと手を加えなければならない、ということだ。
もちろん、そうした構想を企図するなかで純粋だった言葉の数々に傷を付けてしまったら、元も子もない。つまり書き手には読者の目線と自分の理想のあいだに引かれた一本の線の上を上手に歩くような、バランス感覚が求められることになる(文学には“純”も“不純”もなく、“大衆”も“少数”もない。ただ“よき小説”と“よくない小説”があるだけだ、と云ったのは山本周五郎だが、とはいえ、「文章」でおなじ銭金を稼ぐにしても、思考の純粋さを損なうことなく他者に読まれる文章を書く人間をプロと呼び、他者に読まれることだけを目的とした文章を書く人間をアマチュアと呼ぶ、など、なんらかの線引きは必要だろう)。
しかし幸運なことに、芸能人に限って云えば、いや、デビューした段階でけして少なくはない数の人間を”とりこ”にしてしまうアイドルに限って云えば、文章におけるこうした苦悩に囚われることはない。なぜなら、公式サイトに自身の日記を公開した時点で、彼女たちはすでに多くの読者を得ているからだ。
ゆえに、アイドルのブログとは、往々にして、アイドルとしての情報、感情をただ垂れ流しただけの日記で溢れかえるのだが、裏を返せば、アイドルを演じる少女たちは、日記だけが持ち得る思考の純粋さを思う存分ブログに刻印できる、そんな境遇を手にしている、とも云えるのである。
とりわけ、今日のアイドルシーンの主流を歩む乃木坂46に所属するアイドルの場合、それが日記=ブログでありながら、誰にも読まれないだろうという前提、今日はもしかしたら自分以外の誰かがブログにアクセスしたかもしれない、という淡い期待の中で文章を書く経験を一切持たない。彼女たちは自分のブログが多くのファンに読まれるだろうという確かな情況のなかで日々言葉を編んでいる。その読者の数は、正直に言えば、現役のほとんどの作家、エッセイスト、小説家を凌ぐだろう。彼女たちくらい、自分以外の誰かが自分の文章を読むことを意識して文章を書かなければならない状況に置かれた存在はない。
そうした情況を踏まえるに、ファンを自分の世界観に引き込むためのチャンスの場、自分の魅力を最大限に表現し、なおかつそれが他者に理解されなければならない場として「ブログ」が用意されている状況に鑑みれば、彼女たちにとっての「ブログ」とは、まさしく、「精神の運動神経を鍛えることのできる」場と呼べるだろう。アイドルたちが、雑誌のインタビューなどで少女とは思えないほど現実体験に裏打ちされた多様性ある言葉の数々を披露するのも、これはもう当然の結実というわけだ。

今回は、この「アイドルのブログ」に値打ちを付けてみようと思う。
対象は、現在乃木坂46の公式サイトで閲覧可能な現役メンバーのブログ(2022年1月1日から2022年8月31日までに公開された記事)とする。
アイドル=成長の物語と唱える以上、ブログを通して、書くことを通して己を鍛え成長しているのか、問う、と表現するとこれはあるいは真面目すぎ、退屈であるかもしれない。結局、日記の魅力とは、それを書くこと読むことの強い動機とはノスタルジーへの希求にあるのだろうし、アイドルのブログに触れた際に、そのアイドルの横顔、過去の出来事、ドキュメントを通して、自分自身の過去、当時の記憶、季節のにおいが鼻をかすめるのであれば、それは文句なしに、最高のコンテンツ、と云えるのではないか。文章のおもしろさはもちろん、他人の日記を覗き見た際の不安感、興奮があるのか、この点も忘れず意識し点数を付した。

点数の基準は以下のようにした。

90点以上 妄想の飛躍がある
80点以上 優れた文章を記している
70点以上 アイドルの素顔に触れる
60点以上 ドキュメントの魅力に溢れる
50点以上 標準的なアイドル・ブログ
49点以下 近況報告ブログ
39点以下 お知らせブログ
29点以下 読んでいることは秘密にした方がいい

何年か前、あるテレビ局の依頼で、当時ドイツで盛んになっていた反核運動の取材にいき、同じ目的できていた大江健三郎氏と久しぶりに偶会した。…その時、私が以前から手がけていたスクーバダイビングの話をし、オキノエラブウナギという名の猛毒をもった不思議な海蛇のことを口にしたら、彼がとても面白がって、そんな話は自分で思っているよりあなた自身にとって大切なのだから、暇な折りに書き残して、『新潮』の坂本編集長のような親しい編集者にあずけておいたらいいと忠告してくれたものだった。その後暫くしてそれを思い出し、自分の身の回りにあったいくつかの、なぜか忘れがたい出来事や人から聞いた話を暇な折り書き留めだした。やりだしてみるとわが事ながら自分でも思わぬ興味が湧いてきて、思えばこんな時にこそ俺の人生は飛翔していたのかも知れないと一人で感じいったりしたものだった。

石原慎太郎 / わが人生の時の時


(C)乃木坂46公式サイト

50 秋元真夏
まだまだやることがある、という頼もしい決意表明とは裏腹に、アイドルとしてブログに書くべきことはすでに書き尽くしてしまった、という思いが言葉の随所に見られる。バースデーライブ、自身の誕生日にしっかりとブログをアップしつつ、他のメンバーを俯瞰し語るところなどは、キャプテンの義務感に駆られていて、見知ったアイドルの横顔に再会する。微笑ましい。


(C)乃木坂46公式サイト

82 齋藤飛鳥
まるで古井由吉のような筆致で「アイドル」がぐんぐんと語られていく。文体が「アイドル」のエクリチュールそのものを表している。読みやすい、ポップな語り口に誘われ、笑っていたら、いつのまにかその人の深層に引き込まれていることに気づかされる、という意味では、今日の「アイドル」の有り様を撃っていると云えるかもしれない。文章に、読者のこころを動転させる力がたしかに宿っている。多くの若手アイドルが抑えきれず彼女のブログを模倣するのも、うなずける。


(C)乃木坂46公式サイト

89 鈴木絢音
端正な文体はそのままに、文章にやわらかさが出てきた。読点や三点リーダーの使い方など、細部まで、書くことの神経が行き届いている。そうした言葉に対する美意識がアイドルのうつくしさへと上手に帰還している。文章の結構に向けた姿勢、文章を用いて自己を表現しようとするその弓を引き絞るような緊張感はこれまでの「アイドル」の枠組みを大きくはみ出ている。癖を作ろうとしない強い意識の有り様は、役者、作家への可能性を広げている。


(C)乃木坂46公式サイト

42 伊藤理々杏
好きなものを好きと言い続け、それがアイドルの仕事として形になっていくことの充実感に溢れた、近況報告が並ぶ。口語と書き言葉が入り混じった文章には、アイドルを演じる少女自身の性格、なにがしかのキャラクターを演じようとする性向がよく現れている。


(C)乃木坂46公式サイト

48 岩本蓮加
常に「季節」を前に置き日記を書こうとする点、一つひとつの季節の中に自分の感情が閉じ込められているのだと確信しているような、感傷は、大園桃子と通じ合っているかもしれない。カメラ好きと言うだけあって添付された写真には目を引かれるものが多い。


(C)乃木坂46公式サイト

79 梅澤美波
個人の胸の内に芽生えた感情、たとえば、弱さと強さ、高揚と不安、といった感情に向けた問いかけ、答えが出せないことの妙をそのままグループの動向に照らし合わせて語り、しかもそれがなかなか共感できてしまう文章に仕上がっている。やはりこのひとは、ストラテジーに富んだ人、に見える。アイドルとして過ごす時間のなかで鍛えられた思考力がそのまま人としての成長につながっているように見える。ただ、そのいずれもが、以前に他の媒体、たとえば雑誌のインタビューなどで見聞きした内容・表現の使い回しであり、日記でありながら「日常」がほとんど記されていない点は興奮に欠ける。


(C)乃木坂46公式サイト

75 久保史緒里
日記だと思って読んでいたものが、真実を覆い隠したウソの世界=フィクションであることに気づかされるというエスプリに溢れた自己投影を編んでいる。文章を書けば書くほど、自己省察を演じれば演じるほど、肥大したエゴがあらわになるという不気味さには月並みなアイドル観の彫琢を毀す迫力、息苦しさがあるようにおもう。文章の退屈さもいよいよ磨きがかかってきた。


(C)乃木坂46公式サイト

39 阪口珠美
記事の本数は多いが、内容はどれも似通っている。樋口日奈、和田まあやの卒業に対する個人の感慨を述べた記事を除けば、画像と情報の羅列に終始する。ブログとは別に、日常のキャラクター、とくに本人の意図しないところに現れる礼儀を欠いた仕草には引かれるものがあるので、言文の一致を試みれば個性あるブログが生まれると思うのだが。


(C)乃木坂46公式サイト

38 佐藤楓
目立った工夫もなく、お知らせと短くまとめられた近況報告がつづく。自分が抱いている情感を文章に込めることができない、あるいは、情感を込めたつもりでも読者の多くには伝わらない、という葛藤を、アイドル本人の文章に教えられるという点には後ろ髪を引かれた。


(C)乃木坂46公式サイト

60 中村麗乃
書き手が自分自身に向け記した純粋な日記を前にした距離感の近さとは異なる、読者に直接語りかけることの上手さ自然さによる距離感の近さを感じることができる、独特なブログ。水増しされることのない口語に満ちたセンテンスの一つひとつが、生き生きとしている。『羽根の記憶』を下敷きにした回想がファンのこころを揺さぶったことは、記憶に新しい。


(C)乃木坂46公式サイト

52 向井葉月
とくに目新しさはない。1期生に向けた感慨にも、それが向井葉月個人の視点であることは間違いないが、そこに浮かび上がる1期生たちの横顔には目新しいものが一つもない。”乃木坂らしさ”に向けた吐露も、これまでにどこかで目にしたような葛藤に感じる。通俗的、と表現すべきだろうか。ただ裏を返せば、それだけ、ファンに浸透した”乃木坂”の解釈をほかならぬ乃木坂のメンバー自身が証明している、”紫”にこだわり発しているわけだから、言葉の最良の意味で、ファンの心情に寄り添った文章、と捉えることができるかもしれない。


(C)乃木坂46公式サイト

87 吉田綾乃クリスティー
『僕のこと、知ってる?』を「夢」を語り口にしつつ現実の個人的体験に落とし込み活力に変えていく様子には、文章の力、書きながら考えることが成長につながるという、言葉の魅力に出会う。自分ではないなにものかを演じつづける人間の、きわめて私的な部分を叙情的に語ってくれる、純度の高い日記。


(C)乃木坂46公式サイト

58 与田祐希
何の変哲もない文章だけれど、人気者ゆえの奔放さか、あるいは生来のものなのか、文章を読んで抱いたイメージがアイドルのイメージに連なっているのか、アイドルのイメージが文章によくあらわれているのか、わからないが、ブログを読むことで、アイドルの輪郭をなぞることが可能。


(C)乃木坂46公式サイト

70 山下美月
読者との適度な距離を保っている点は見知った”山下美月らしさ”に溢れるが、日記ならではのエピソードの披露、日常の機微をしっかりとノートにつらねている。文章の表現、ユーモアなど、すべて標準的だが、その標準的であろうとする点、アイドルらしくあろうとする点にこのひとの魅力があるのだろうし、そうした姿勢がブログからも読み取れる。感心する。


(C)乃木坂46公式サイト

70 遠藤さくら
淡々と、近況を述べている。感情を抑制しているのか、感情の起伏を描くことが苦手なのか、そもそも感情=語彙をもたないピュアなのか、日記そのものが「遠藤さくら」というアイドルのイメージに包括されている。おそらく、名前を伏せて読んでみても、言葉づかいで、これは遠藤さくらが書いた文章だな、と確信するのではないか。文章にアイドルの素顔がにじみ出ている、と捉えても過褒にはならないはず。


(C)乃木坂46公式サイト

40 田村真佑
大部分を近況報告で占める。味気ない。主語・主体が抜け落ちてしまっているのか、人気メンバーでありそのとおり多くの魅力をそなえ持つアイドルだが、文章に限って云えばその魅力の一片すら拾うことができない。アイドルの文章のおもしろさを問うことが、必ずしもそのままアイドルの魅力を問うことにはならないのだという当たり前の事実を教えてくれる。自己と他のメンバーとの距離感を、カメラに写すことは得意なようである。


(C)乃木坂46公式サイト

92 賀喜遥香
平易に、大仰な前置きもなしに、唐突に自己否定を書く。「私は私が好きじゃないけれど、私は乃木坂46が大好きです」という芝居じみた、大胆な告白が、『僕は僕を好きになる』に触発された、フィクションの中にあらかじめ自分のことが書かれていると妄執した、妄想を飛躍させた科白であると感じるのは私だけだろうか。おもしろいのは、それが『好きというのはロックだぜ!』の書き出しに引用されていることだろう。彼女の日記に触れる者をして、彼女のことを語ろうとする者をして、衝き動かすなにか、が文章の内に宿っているのだろうか。今日のアイドルファンがイメージする乃木坂46の色模様、たとえば『夜明けまで強がらなくてもいい』のようなストーリーを日記の中から拾い上げることができ、作詞家・秋元康の詩情に誘惑された一人の少女を、ほかならぬ作詞家自身が眺めることで、次の、新しい物語が作られるという循環が起きているようだ。ブログを読むという経験が、グループの魅力を理解した、という経験に、たとえばドキュメンタリー映画を鑑賞した際に感じ入るような理解につながるという意味では、フィクションに達した日記、あるいは、フィクションにされた日記、と表現できるかもしれない。言葉はひどく平坦だが、その中には必ず、ファンに活力を与えるだけではなくアイドルを演じる少女自身を奮い立たせるような、記憶に残る一行、が記されている。*1


(C)乃木坂46公式サイト

61 掛橋沙耶香
このアイドルはなぜここまで人気があるのか、という探究心をもってブログを開くと、肩透かしを食う。しかしその、肩透かしを食う、というところにこのひとの魅力があるのだ。みじかい言葉の端々に「反動」が込められていて、リリシカル。


(C)乃木坂46公式サイト

66 金川紗耶
ライバルに遅れをとったその日から「選抜」に選ばれた今日まで、言葉のテンションがまったく落ちていない。ブログイコールファッションショーの趣きが強く、一つの写真がアイドルとの思い出の確認になるという、ファンのこころを掴んだまま離さない日記がつづく。『日常』をセンターで踊った際の葛藤や、山崎伶奈とのエピソードなど、アイドルとして過ごす日常の機微もしっかりと記している。選抜入りを叶えた際に告白された、変化した夢の有り様には尽きない興趣がある。ポジティブの怒涛さに鎖された屈託には学ばされるところが多い。


(C)乃木坂46公式サイト

74 北川悠理
得意の「空の描写」は相変わらずで、閉じたイマジネールな世界が広がっている。空想を原動力にして内省を繰り返していく姿をしっかりとファンの眼前に描いている。けれど、それが今では、どこかあえて幼稚な表現を用いた文章に感じるのはなぜだろうか。文章を書き溜めてしまう癖があるようで、そうした書き溜めたセンテンスを小出しにすることが、文章から瑞々しさを剥がしてしまっているのかもしれない。感受性豊かで、かつ、文章力があるのだから、試行錯誤の表現とは別に、衝動に頼りきった日記を書けば、よりアイドルの世界が閉じるのではないか。


(C)乃木坂46公式サイト

51 清宮レイ
常にファンに語りかける、ファンの目線を意識した、アイドルらしい、いや、清宮レイらしいブログ。その文章の一ヶ所として自己のみに語りかける、独りよがりな科白を作らない。彼女の文章を読んでいて痛感するのは、本来の日記とは、他者に向け語りかけるもの、ではなく、過去の自分や未来の自分に語りかける現在の自分、であるはずだから、アイドルの、清宮レイの、ファンサービスに満ちたブログとは、やはり、純粋な日記とは呼べないのだろうという落胆である。インタビュー記事がある手前、現実的な事情に阻まれるのかもしれないが、せっかく前田敦子と貴重な時間、言葉を交わしたのだから、そうした特別な体験のなかで得た、カメラ、記者の前では語られなかった機微、自己の胸の内にだけ秘めておこうと決心するような事柄をブログに記してしまう大胆さがあれば、それは日記と呼べるはずだが。


(C)乃木坂46公式サイト

41 矢久保美緒
可もなく不可もなし。近況報告とお知らせが、ずらりと並ぶ。他者から貰い受けた評価=言葉を借りながら、またそれをノートに写しながら、自分の身を療養しているところなどは定形を脱しているかに見える。


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68 林瑠奈
アイドルを通し、青春を謳歌し、リアルタイムで青春の1ページを書き足していくなかで、同時に、乃木坂をパーテーションとして青春の回想に沈むところなどは、生活の記憶に対する感覚の鋭敏さを自負しているようにおもう。「僕の誕生日の二日後」という無垢さが消却されず、しっかりと「アイドル」の下敷きにされている。


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66 早川聖来
近況報告とお知らせ、ファンとの交流が盛んなブログ、といったイメージ。類型的。だが、たしかに、違和感を覚える。その人気・序列を考えれば、ブログの記事本数、文章の量、共に均整を崩しており、たとえばアンダーに甘んじているメンバーや、デビューしたての新米アイドルのように、旺盛に文章を編んでいる。ゆえに、屈託の爆発に結実する手記として読めば、たしかに、誰にも届かない叫びのようなセンテンスをちりばめている、ように見えなくもない。しかしそんな都合の良い、ドラマチックな読み方をして良いものだろうか。
「マスクでお稽古していると相手の表情が見えないので本番で見られるようになるのが少しだけ楽しみです。」
こういった感情の機微を文章に起こし、読者がアイドルの目線に立てるところにこのひとのブログの魅力があるとおもうのだが。*2


(C)乃木坂46公式サイト

73 筒井あやめ
あまり多くを語らない。季節を通した情感のようなものはあるけれど、どこか感情にブレーキがかけられているように見える。あと一言加えればアイドルの素顔を垣間見る読者の数がぐんと増えるはずだが、”自分らしく、落ち着いて頑張る”と表明しているのを見るに、これは、意識してそう書かれたもの、意識された文体、なのかもしれない。ブログでも(文章のなかでも)自分の普段の話し言葉をできる限り毀さないように考えて書いているのかもしれない。飾らないことが、心象風景の鮮度を保つことに成功している。


(C)乃木坂46公式サイト

74 柴田柚菜
アイドルとして過ごす日常のなかでファンに伝えきれなかった感情、その一部をブログに記すことで補完している。あのときの、あの場面で、彼女はこんな感情を秘めていたのか、とファンをもう一度過去の感動のなかに引き戻し興奮させる、そんな文章を日々編んでいる。人と物の流れる時間の差に対する問いかけは、好奇心旺盛で、瑞々しい。


(C)乃木坂46公式サイト

63 黒見明香
他人にどう読まれるか、他人がどう読むのか、考えている。構想している。1ページ1ページが、まるで一枚のパンフレットかのように装飾されている。現役、卒業生問わず、他のアイドルとの多様な関わり合いを記したそのエピソードはファンのこころを揺さぶろうとする。白石麻衣のグッズを購入した際の、マネージャーとのくだりも面白い。ただ、他人に読まれることを意識しすぎているのか、知らない誰かの日記を偶然手にし広げた瞬間の、興奮、スリリングさに欠ける。言葉の内省さに弱く、どれも似たりよったりに見えてしまう。


(C)乃木坂46公式サイト

52 佐藤璃果
自身のファンに向けた、ファンのためだけのブログ、といった印象。質問への回答が定番化されたり、ファンにとっては嬉しい時間がつづく。情報量が多く、読めば読んだ分だけ彼女を知ることができる。その代償か、文章の内にアイドルの魅力を見出したり、日記を読むことでその書き手の素顔に触れてしまったと動揺するような、ブログだけが叶える体験はいまのところ得られない。


(C)乃木坂46公式サイト

68 松尾美佑
今どきの若者らしい陽気な語り口調のなかにアイドルになったことで知ってしまった未熟さ、自分の魅力がどこにあるのか、自問自答する暗さが入り混じっていて、そうしたところはやはり、乃木坂らしさに溢れた人、乃木坂らしいブログに感じる。日々の出来事のなかで内省を繰り返しつつ、ファンに語りかけることも忘れない。バランス感覚にすぐれた日記。


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38 弓木奈於
余命宣告を受けた人間でも、このひとの日常の立ち居振る舞いを眺めたら、笑みをこぼすかもしれない。そうした、活力を発散するアイドルの存在感とは裏腹に、ブログに記された文章は至ってシンプル。文章を書くことでアイドルを立ち現せるようなチャンレンジは、すくなくともブログのなかでは行われていない。日常の存在感に突出したものがあるから、それだけブログの内にも日常のユーモアと同等のものを無意識に期待してしまうのかもしれないが、あくまでも本人にとってはファンへの感謝を綴る場として「ブログ」が活かされている。


(C)乃木坂46公式サイト

5期生に関しては、すべて「測定不能」とする。
アイドルとしてデビューしたばかりの、まだまだ未知数な部分が多い少女たちを前に、ブログが重要な情報源になっていることは間違いなく、当然、多くのファンが注目している。少女たちもそうした眼差しに応えるべく、自分らしさを縦横に打ち出した文章を書いたり、また、自分らしさ=夢を模索したり、日々旺盛に日記を書き足している。たとえば五百城茉央、彼女はアイドル=乃木坂の一員になったことの奇跡を個人の感情のなかでしっかりと文章に表していて驚かされるし、井上和、中西アルノなどは、今自分が抱いている感情の情景化、とでも表現すべきか、文章に「気分」が溢れていて、文章における自己表現を叶えている。考えて書かれた文章は、読者の読む力を鍛えるものだが、5期生のそれぞれが、しっかりと考えて、序列闘争という強いられた緊張感のなかで文章を編み上げているようにおもう。とはいえ、彼女たちの日常をほとんど知らない以上、1期生から4期生とおなじ評価基準のもとに点数を付けることは、当然、できない。よって、測定不能、とした。


あとがき、
すでに、本文の、短い批評欄のなかで繰り返し述べたけれど、今回アイドルのブログを読んでいて最も落胆したのは、その大部分が、ファンサービスの場、として準備され運営されている点だ。
こうした落胆は、アイドルは「エンターテインメント」だから当たり前だ、という反論に一刀両断されてしまうのだろうか。しかしブログをファンへのアピールの場だと捉え行動することが、むしろファンの関心を削いでいるように思うのは私だけだろうか。
また、記事中に引用した画像に関しては、アイドルの「目線」を感じられる写真が良いのではないか、と言う、プロのカメラマンとして働く友人のアドバイスに、可能な限り従った。

2022/09/04 楠木かなえ


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