乃木坂46 五百城茉央 評判記

乃木坂46

五百城茉央(C)entax

「日常演劇の大立者」

五百城茉央、平成17年生、乃木坂46の第五期生。
西野七瀬、松村沙友理なき今、日常を劇的なものとして見せるスリリングなメンバーを乃木坂の内に探すとなれば、この五百城茉央に可能性と希望を見いだすべきだろうか。とりわけアイドルを作ることの演技をそのままフィクション作品における演技へとトレースした際に、フィクションの内に立ち上げたその「演技」を現実へと持ち返りアイドルの個性を育てる点に、極めてすぐれた資質を受け取る。
たとえば、ドラマ『古書堂ものがたり』を前後して、五百城がアイドルとして提示してきた日常の仕草を映像世界の登場人物の内に垣間見たかと思えば、ドラマで描かれた登場人物の笑顔、立ち居振る舞いが、アイドルとしての日常のなかに当たり前のように姿を現すようになった。自己の日常の記憶、日常の所作にたのんでカメラの前で演技を作った経験が、新しい次の日常の芝居、言うなればドラマツルギーに活かされる。反復される演技によって日常と非日常の境界線が不分明になっていく、図らずも、現実がフィクションに編み上げられ虚実にとりまぜられていくという、役者としての離れ業を「アイドルを作る」という条件のなかで感得した点に五百城の目ざましさがある。
正源司陽子との関わり合いが象徴的だが、アイドルを演じる同じ少女にとっての五百城茉央とは、能弁で、精神的支柱になるような存在に見える。ときおり、かなり覚めた、俯瞰的な眼差しを向ける。けれどファンの側から眺める「五百城茉央」は、素朴で、どこか蒼然とした、情操の低い、隙のある人に見える。生きる場面に応じて役割を静かに変えるその柔軟さもまた、彼女が演劇的であることの余波ではないか。演技というものが、自分の本音を探し当てそれに嘘をつくこと、であるならば、五百城茉央はすでに異彩を放っている。たとえば『「じゃあね」が切ない』では、五百城茉央の個性が存分に活かされ、その資質に見合うだけの音楽が実現されたかに思われる。
西野七瀬、松村沙友理と比べ特徴的なのは、バナールであるがゆえにアイドルを劇的に見せようとする意志が、映像作品だけでなく、ライブステージの上にまで広がっている点にあるだろうか。日常の面影をもった、やや鼻にかかった、しかし貫通力のある勇敢な歌声はもちろん、マイクを握る手の、その指先まで宿り渡った美意識は、言いようのない高貴さを演出する。バナールだけれど、不意に、気品にあふれ出るその佇まいは、アイドルの踊りになにがしかの価値を見出そうとする人間の歓心を強く買うことだろう。

 

総合評価 74点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 15点

演劇表現 16点 バラエティ 14点

情動感染 14点

乃木坂46 活動期間 2022年~