NMB48 石塚朱莉 評価

NMB48

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「勇者あんちゅ」

お行儀の悪いアイドルである。直情的で短気ともいえる。
ゲームプレイひとつとっても、とにかく騒がしく、表情が多彩である。

ドラゴンクエストとはゲームに教養小説を取り込むという試みに成功をした作品である。教養小説については生駒里奈の項で述べた通り、アイドルが創る物語もひとつの教養小説になる。
しかし、両者には大きな隔たりがある。ドラゴンクエストの世界では頑張れば、頑張った分だけ成果が得られる。困難や試練は乗り越えるべきものとして配置され、来るべきタイミングで与えられる。

一方、アイドルの世界は矛盾や不条理で溢れている。村を一歩出たら、そこに待ち構えているのはスライムでもおおがらすでもなく、ハーゴンやバラモスなのである。其れ等の強大な相手に棍棒一本で立ち向かわなくてはならない。運良く味方と力を合わせて倒せたとしても、「まおうバラモスをたおしたですって?でもバラモスなどだいまおうゾーマのてしたのひとりにすぎませんわ」と言われてしまう。そんな世界。

この、どう頑張っても成果が得られない世界、「これ以上何を、どう頑張ればいいの?」という世界に身を置くアイドルがドラゴンクエストをプレイする。そしてその全ての過程をファンに提供する、というのは心の踊るコンテンツではないか、とおもう。
ゴールドを集め、皮の盾を買う。戦闘でダメージを受けない様をみてニヤリとする。笑った時のえくぼの位置が良い。まるで、鼻歌を歌っているだけで周囲の、その場に鬱積したダークな感情を開放してまうような、資質。

最も興味深い部分は、一人称的な世界が構築されているドラゴンクエストにおいて、石塚朱莉は、自身がゲームの中に降りていって、その主人公になりきり冒険をするのではなく、あくまでも自身は現実世界に留まり、画面の向こう側にいる勇者を他者として扱っている点である。そして、自身が操作しているキャラクターがまるで自立した生き物であるかのように捉え、その一挙手一投足に興奮をし、自己投射するのである。
石塚朱莉がゲームプレイ中にキャラクターに向けて発する批判や賛辞といった感情のほとんどは、自己の中に生息するが、何らかの理由によりそれを絶対に認めたくないと、無意識に誓った感情である。
そういった心の闇を裸にして、ファンにみせてしまうのだから、これはもう、純文学である。

自身の演劇に対する美意識がそうさせてしまうのか、わからない。

 


「開かずの間」

石塚朱莉自身がプロデュースする劇団「アカズノマ」の挨拶文もおもしろい。文才がある、と云っても良い。
正岡子規や夏目漱石を独学で研究したのではないか、と。
心のこえを口語にして、そのまま文章に起こせる、というのは才能である。

20歳になる前、今まで見て見ぬふりをしていた「開かずの間」が開いてしまったことがありました。
「開かずの間」に封じられていたものは、笑っちゃうくらいの怖いものでした。
そこには、本当と嘘とが詰め込まれていました。たぶん、素通りをしていたらハッピーだったと思います。
だけど、私には大事にしたいと思うことや、好きな事がたくさんありました。
アイドルの私も女優の私も頑張れって言ってもらって、応援の声をかけてくれる人達がいて、「アカズノマ」を開くことが出来て良かったです。
生きていて良かったです。

演劇が大好きで、演劇で毎日を生かされて育てられている私です。
作品が生み出すドキドキやワクワク、時にはぞわぞわ。この気持ちをどうかたくさんの人達に届けたいという思いでいたら、いろんな人たちが協力をしてくださり、一緒に考えてくださって、劇団化することになりました。
演劇が持つパワーで明日も強く生きていて、愛で溢れていてくれたら嬉しく思います。

哀しみも幸福も絶望も憧れも残酷も全部全部結局は愛だと思うのです。
誰からも愛されなければ自分自身を愛します。

みなさま、はじめまして。
「アカズノマ」の石塚朱莉です。
頑張ります。

石塚朱莉「アカズノマ」

これは個人的な体験による発見だが、演技の才がある人物とは文才も備わっている。

誰からも愛されなければ自分自身「が」愛すのではなく、誰からも愛されなければ自分自身「を」愛しますと書く、この文体に対する美意識からにじみ出るつよがり。

みなさま、はじめまして。「アカズノマ」の石塚朱莉です。頑張ります。と、文末に「はじめまして」を置く。この感覚と仕掛け。読者は、開いていると確信していたアカズノマは、その名の通り、閉ざされていたことに最後に気付かされる。この仕掛に自我同一性を獲得する前段階にある少女の心の冷たさ、林道の横で流れる川で丸くなった白い石のような硬さを感じることができる。それは突発的な、偶発的な出来事で処女性の喪失を経験した少女の怒りにも見える。

 

小さな人間が、やって来た。並外れて発達した筋肉と均斉のまま、小さくなったと見える男。胸を張ったそいつが、延ばした両腕にものを抱えて、薄暗がりを進む。ブーメラン型に連なったふたつの翼の構造物である。前方の垂れ幕が狭く掲げられて、向こうは輝く舞台。通路に突き出しているスイッチボードの脇を、姿勢を低くして通り過ぎようとした時、装置背後の空間を横切って急ぐ、踊り子姿の少女の、スカートの奥に翼の端が突っ込まれた。 そのまま、小さな男と幼い踊り子は凍りついた。前屈みの少女は体の重みを右足にかけ、開いてあげた左右は無防備にさらして、なんとか平衡を保っていた。どうしようもない姿勢に追い込まれた怒りを表して、少女が相手を睨みつける。

(大江健三郎「宙返り」)

 

エモーショナルな演技が甘美に映ってしまう皮肉、逆説とは、こういった怒りの経験によるものではないか。

否定的な目線で観ていたはずなのに、気がついたら「まあ、これはこれでいいんじゃないのかな」と想わせる、目撃者のパーソナルスペースを毀してしまう力を、魅力をもったアイドルである。

 

 

総合評価 78点

アイドルとして豊穣な物語を提供できる人物

(評価内訳)
ビジュアル 17点 ライブ表現 15点

演劇表現 17点 バラエティ 14点

情動感染 15点

 

NMB48  活動期間 2011年~

評価点数の見方