今もっとも注目の新人・アイドルは日向坂46の大野愛実

「質問への返答 10」
今回は久しぶりに読者から頂戴した質問・感想への返答をしようと思います。前回が山下美月が卒業した頃、2024年4月、その前が2023年1月なので、かなり期間があいてしまいました。果たして質問者が現在も読者としてサイトにアクセスしているのかどうか、不安もありますが……。
実は今回も前回同様に座談会の場を借りて、座談会のメンバーを交えてあれこれと読者からの声に応じてみたのですが、いざボイスレコーダーから文字を起こしてみると、どうにもこうにも記事としてまとまりがつかない。そこで今回は、僕の反応だけを抜粋して、記事にすることにしました。会話のなかでの反応という都合上、質問への直接的な答えになっていなかったり、ぶつ切りに感じる部分がありますが、その点はご容赦ください。
また、ここであらためて、「アイドルの値打ち」をご支援くださった方々にお礼申し上げます。支援金はすべて、編集者への報酬に充てています。――実は当初、FXトレードで倍に増やしてから渡そうと考えていたのですが、友人から「それだけはやめたほうがいい」と忠告され、思いとどまりました。
今はなんでも「動画」の時代なので、文字だけのコンテンツにお金が投じられる、自分の文章で銭金が動くというのは、僕だけでなく編集者もまたモチベーションをたかめるんですね。すこし前に、編集者のこだわりでサイト上の記事の半分を非公開にしましたが、それでもアクセス数は右肩上がりで、日々、驚いています。これは裏を返せば、アイドルシーンが今なお隆盛を誇っているということでもあります。
Q:乃木坂46・6期生の注目度ランキングが読みたい。
A:これは4期、5期とやってきて、読者からの評判が良かったシリーズですね。6期生の記事も書いてはいたのですが、日向坂、櫻坂の新人への興味も強く出てきて、結局、完成しませんでした。いまさら書き上げてもなあ、という思いもあって、もし今やるなら、乃木坂、日向坂、櫻坂をあわせてランキングをつくるとか、でも、乃木坂46と日向坂46に関しては「理想の選抜を考える」という記事でもう好きに語っているんですよね。たとえば、ここで仮に10人注目の若手を挙げるなら、1位から順に、大野愛実、矢田萌華、松尾桜、増田三莉音、山田桃実、中川智尋、下田衣珠季、川端晃菜、森平麗心、稲熊ひな。この10名が今のところ、僕の中で強い関心があるアイドルになります。大野愛実は本当に逸材だと思います。ミニライブで披露した『ジャーマンアイリス』は、とにかく素晴らしいパフォーマンスで、音楽がアイドルを、アイドルが音楽を、輝かせています。これまでにライブで披露された『ジャーマンアイリス』は欠かさずにチェックしていますが、ライブごとのパフォーマンスの良し悪しですか、これは音楽の楽しみの一つですよね、大野愛実はすでにそういう楽しみを観衆に与える水準にあると思います。今回は、次は、どういう表情を描き出すのか、わくわくさせてくれます。
Q:アイドルの評判記について――情報が古い。~は今はもうダンスは下手ではない、など。
A:これは先に大野愛実をとおして語った部分とつながると思います。僕はアイドルを小説や映画とおなじ「作品」として眺めるので、たとえば、ディケンズの処女作を今読んで、今評価する際に、後期の、たとえば『デイヴィッドコパフィールド』と比べて評価すべきかどうなのか、ということです。アイドルなら、どのステージを語るのかということになるんだと思います。言い換えれば、どの部分に着目して語るのか。もちろん作家ですから、集めることの可能な情報はかならず入手しますが、だからといってそれをすべて文章に並べたりはしません。まあ、そういう書き手も中にはいるようですが……。書評って、基本的に800文字くらいですか、小説一本を800字で語らなきゃいけませんから、作品のどの部分に価値を見出すかが、批評家のセンスになるんだと思います。
Q:最近読んだ本でおもしろかった本は?
A:最近だと前田司郎の『夏の水の半魚人』が良かったですね。大人が子供を語るという、文章でしか表現できないことをやっています。映像だと、大人は子供を演じることはできません。30代の俳優が小学生を演じることは不可能ですよね。でも文章ならそれができるんですね。あとは……、ヘミングウェイの『移動祝祭日』。これは何回も読み返している本ですが、職業作家であれば、とにかく引き付けられる部分が多いんじゃないか。パリを舞台にした短編だけれど、ほとんど日記です。ヘミングウェイ自身もこれをフィクションとして捉えることで見えてくることもあるはずだと、開き直っています。もちろん、文章へのこだわり、言葉の緊張感から、ただの日記ではないのですが。ピカソを見出したガートルード・スタインとの交流とか、エズラ・パウンドの名前も出てくるし、シェイクスピア書店とか、とにかく当時のパリの風景が小説に閉じ込められている。しかもそれがヘミングウェイの作家としての人生の一部分として描き出されている点が破格です。
Q:アイドルの評点について――総合点を先に決めて内訳を調整しているように感じる。
A:これはどうなんでしょうね。無意識と意識があって、意識の部分では、総合点から決めるなんてことはやっていませんが、無意識の部分では、やっているかもしれません。「アイドルの値打ち」を書く前に、物は試しに、前田敦子に点数をつけてみたんですね。ビジュアルはこれくらいだ、踊りはこれくらいだろう、と。するとどうやっても80点は超えてくる。大島優子も同じで、どうやっても超えてくる。じゃあこれでいけるだろうと、そう考えたのを今でも覚えています。指原莉乃の点数が低すぎるといったお叱りをよく頂戴しますが、総合点だけでやるなら、あるいは、指原莉乃は80点90点を付けたかもしれません。でもビジュアルとか歌とか演技とか、見逃さずに見ると、80点にはどうやっても届かない。じゃあこの形式はアイドルを評価するのに適していないのかと言えば、そんなこともなくて、ビジュアルに華はないけれど多様性が優れているからあれだけ売れた、今のシーンでは一つ大きな才能があれば売れるんだということを、点数をもって表現できているので、これはこれで良いのかなと。
Q:ネット上の楽曲考察はなぜ笑われる?
A:考察って、作品の全貌をあらわにしようとする心意気ではあるんだろうけれど、そのほとんどは、対象物を自分のものにしようとしているだけで、それを読者に見透かされているんだと思います。あるいは、そういう自覚が、書き手自身にある。作品を自分のものにしようとしているだけだから、作品がなにを言っているのか、というところを突き止めたらそれで満足してしまう。作り手が、また作品が、なぜそれを表現しているのか、というところまで踏み込まない。たとえば、これは同性愛をテーマにした楽曲だ、で終わってしまう。なぜ同性愛をテーマに歌うのか、考えない。同性愛はもう当たり前のものだと言いたいのか、当たり前ではなかったものが当たり前になったことを、他の物事に結びつける、生きるうえでの重要なヒントに変えようとしているのか、そういうところまで考えが及ぶのか、想像できるのか、この点がひとつ、繰り返し読まれる文章と、そうではない文章との岐路になるはずです。繰り返し読んでいる文章を、笑う人はいませんよね。だってそれは自分を笑うことになるから。
Q:AKBグループ、乃木坂シリーズだけじゃなく他のアイドルへの批評も見たい。
A:これは定期的に頂戴する声ですね。作家としては嬉しいかぎりですが、結論を言えば、ほかのアイドルを批評することはありません。僕は「アイドルの値打ち」を一冊の本として書いていますから、秋元康の枠組みの外にあるアイドルを持ち込みそれを中心に語ることはあり得ないんですね。それが現代で本を書くということだと思います。たとえば、僕は文芸批評家として、まず小説、次に政治、次に演劇や音楽と働いてきましたが、「アイドルの値打ち」で批評家としての一面を出すとき、政治の話は出さないと決めています。「アイドル」の世界観を壊すからです。「アイドル」を読みに来ている読者の前で政治を語るなんて、そんなつまんないことはないですよね。
Q:歴代の日本のアイドルで一番だと思うのは?
A:これも前の話題と繋がりますが……、うーん、坂井泉水ですかね。比較的最近なら、水野由結とか。このふたりをアイドルと呼ぶとそれぞれのファンに怒られそうだけど、それはきっとAKB的なアイドルだというふうに捉えられてしまうからだと思います。坂井泉水をアイドルと呼ぶとき、それはたとえば夏目漱石を文学的アイドルと呼ぶのと変わらないので。水野由結がおもしろいのは、夏目漱石としてもAKBとしてもアイドルである点ですね。新時代ということなら間違いなく正源司陽子です。これ以上のアイドルはもう出てこないでしょう。
Q:ユーチューブでオススメのチャンネルがあったら教えて。
A:僕は最近は「いけちゃん」という旅行系のチャンネルがあるのですが、よく観ています。ニュースで見て知って、おもしろいと思って登録しました。なんでおもしろいと思ったかと言うと、中西アルノに顔が似ていたからですね。さらに言うと、指原莉乃、瀧野由美子、山下瞳月とか、いろんな要素が混ざった女性で、引かれる部分が多い。中西アルノがユーチューバーになっていたらこんな感じなのかなあ、とか。勝手ですが。
Q:AI秋元康について――秋元康はもう必要ないのか。
A:この手の意見をよく耳にしますが、本質的に誤りがあります。AIで秋元康を完全に再現できたとしても、それで秋元康が不要とは絶対になりません。なぜって、人間は作品をつくることそのものに動機をもっているからです。過去の自分と同じ文章を書ける存在がいるからといって、自分が書く意味は奪われないし、失われません。だって僕らは、書くこと、歌うこと、踊ること、表現することそのものをいちばんの目的としているからです。できあがったものに、そこまでの興味はないんです。そしてその「意味」や「目的」がAIには持ち得ない「発想」を人間にもたらしているのではないでしょうか。いずれにしても秋元康とAI秋元康の対決企画でわかったことは、AIはまだまだこんなものなんだなという落胆です。秋元康を吸収した割には、似ているかどうかって点にばかり注意していて、詩を書く際の基本中の基本が学べていない。まず詩のノウハウを学んで、次に秋元康を模倣する。この当たり前のプロセスが踏めていない。AI作品の『思い出スクロール』はやっぱり甘いところが多々あって、「壁紙はバス停の桜」がどうのこうのって部分なんかは特に顕著で、これは一見すると暗喩で、詩的表現に思う人が多いかもしれない。でも僕はこれに違和感があって、生成AI特有のエラーなんじゃないかと考えました。AIが人間の絵を描くとき、口の位置に目がついてたり、足と手が逆になっていたり、構造の破綻した気味の悪いエラーがよく起きている。その気味の悪さを無意識に感じ取ったのかもしれません。だから僕はあの歌詞を褒めることができなかったんですね。もちろんこれは後付に過ぎないのですが……。
2025/10/04 楠木かなえ