AI秋元康を予想する

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「『セシル』VS『思い出スクロール』」

AKBが今おもしろい企画をやっているようです。
AIに秋元康を演じさせ、本物の秋元康と対決させる、秋元康が詩をつけた楽曲とAIが詩をつけた楽曲のどちらに魅力を感じるのか、ファンに投票を呼びかけ、最終的に票の多かった曲をデジタルリリースする…、なんともAKBらしい、秋元康らしい流行りに敏感になった企画です。ポイントは、提示されたふたつの曲のうち、どちらが秋元康作詞なのか、AIなのか、伏せられている点でしょうか。タイトルは『セシル』と『思い出スクロール』。『セシル』のセンターが倉野尾成美。『思い出スクロール』のセンターが伊藤百花。
さっそく聴いてみました。まず、主題である「どちらの曲が魅力的に感じるのか」という点ですが、僕はどちらも魅力的には感じませんでした。強いて言えば、『思い出スクロール』はダンスナンバーで、音楽的な感興がそれなりにあって、ステージ上では映えるのかな、という印象です。伊藤百花がセンターなのでその点は好材料と言えるでしょう。『セシル』は絶望的で、作品として、音楽を前向きに語れる部分がほとんどありません。

次に、どちらが現実の秋元康の詩で、どちらがAI秋元康が書いた詩なのか。いろいろな角度から眺めてみましたが、これは考えれば考えるほど、わからなくなりますね。第一印象としては、これはもう一目瞭然で、『思い出スクロール』がAIによる作詞でしょう。理由は、用いる言葉とその組み立てがあまりに杜撰で、稚拙だからです。でもその「稚拙」っていう部分は、秋元康らしさと云えば、らしさですからね。

では、すこし、分析的に眺めてみます。
配信曲とはいえ表題曲(プロモーション楽曲)という前提、条件を踏まえると、ふたつの楽曲には大きな差があるように思います。『セシル』が表題曲らしい普遍的な詩情を構えるのに対して、『思い出スクロール』はカップリング曲でよく見る構図を取っている。小道具を一つ用意して(今回はスマホ)、その小さなテーマの枠組みの中であれこれと若者の感情に寄り添い跼蹐(きょくせき)するという、秋元康が得意とする手法ですね。表立った楽曲においても小道具を用いることはもちろんありますが、その場合、それでも詩の世界が普遍的な広がりを見せるような、工夫がなされている場合が多い。そんな印象を僕はもっています。そう考えると、『思い出スクロール』を書き上げた際に、果たしてこれをそのままおもてに提示するものだろうか?という疑問をまず抱きます。職業作家であれば、手直しするのではないか。『思い出スクロール』にはそうした痕跡が見られない。配信曲だから、これくらいで良い、と言われたらそれまでですが……。また、そもそもAIは「セシル」なんてタイトルをいきなり出力するものなのか、という違和感もあります。『セシル』はタイトルから詩を起こしているように感じます。『思い出スクロール』はスマホというテーマのもとに書き起こした詩の中から拾い上げたタイトルであるように見えます。

歌詞に注目してみて、ふと、僕が思ったのは、AIに「秋元康」の情報を網羅させた割には、『恋するフォーチュンクッキー』や『サイレントマジョリティー』のようなアイドルを演じる少女の屈託を通して社会の希望を語る、秋元康が本領とする歌詞は上がってこなかったのだな、という点です。普通に考えれば、秋元康を学習し模倣するなら、まず過去の名曲にヒントを求めるはずですが、クオリティはともかく、今回提示されたふたつの楽曲はそのいずれも過去の名曲の要素=アイドルと音楽の関係という視点から距離を遠く離した作風であるという点が、やや腑に落ちません。あるいはこの点が、AIと人間の発想力の決定的な差ということになるのでしょうか。
それでも詩をこまかく眺めれば、『セシル』の「妄想は傷つかない」という部分は、詩情の豊かな表現だと思いました。音楽と歩調も合っていて、まだるっこい音楽を詩が軽くしています。一方で『思い出スクロール』は「引き出しの奥に眠ってたあの日の僕のスマホ」といった唖然とする書き出しに始まり、「コンプレックスも満ちてゆく」「眩しい輝き 道しるべ」「心を充電して あの日々を胸に生きてゆくよ」など、身も蓋もなく、安易で、恥も外聞もない表現のオンパレードで、また詩であることを考慮しても、全体的に意味が散漫で、「未来は余白だらけ」という結びも「スマホ」というテーマから脱臼しているように感じます。
でも――ここがいちばん肝要な点になりますが――秋元康って、舌を巻くような詩を書くときもあれば、どうしようもなく稚拙で、恥知らずな詩を書くことも多々ありますからね。つまり、わからない、ということです。
だから僕には、たとえば直近なら『ネーブルオレンジ』や『ジャーマンアイリス』など、青春への通い路に音楽を流す素晴らしい作品をつくり上げた人間が、その直後に『思い出スクロール』のような、情感を捨てた、工夫のない、短絡的な歌詞を書くわけがない、と希望的なアプローチしか取れないのです。

よって、僕の予想は、
秋元康が作詞した作品は『セシル』。AI秋元康が作詞した作品が『思い出スクロール』となりました。


2025/09/03 楠木かなえ