2024年 注目の若手アイドル TOP7
「アイドルの可能性を考える 第三十一回」
メンバー
楠木:文芸批評家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。
前回の場から引き続き、アイドルを話題にした場面を抜粋する。今回は、「アイドルの値打ち」の執筆者として、2024年に注目する若手アイドルを7名リストアップした。
「7位 池田瑛紗/乃木坂46」
楠木:今、僕は自分の内に養われたアイドル観、アイドルを語ることのスタイルに自信がある。「アイドルの値打ち」を書きはじめてもう5年ですか。1000記事以上、アイドルにたいする文章を書き考えてきましたから、畑違いとはいえ、熱誠がある。先日、パーカーの『ボルドー』を引用して、2022年、2023年にデビューしたアイドルの成長予想というのをやって、これも役立った。この2年間でデビューしたアイドル(AKBグループ、坂道シリーズ、僕が見たかった青空)は合計で186名。SKEの12期、NGTの4期は間に合わなかったけれど、他のアイドルは可能なかぎり足を使って評価しましたから。楽曲についても2019年以降の作品はミュージックビデオも含めて全グループ、表題作からカップリング曲まで、すべて評価していますから、音楽へのアイドルの引用も慣れている。とはいってもね、こういう自信は時間を空けちゃうと朝露のように消えてしまうものでもあるから、今の自分が自信をもって「良い」と言えるアイドル、眺めていてワクワクするアイドルを7人、選んでおこうと、考えたわけです。さっそく、若手アイドル186人の中から僕が選んだ7人は右のようになります。
7位 池田瑛紗
6位 小濱心音
5位 谷口愛季
4位 菅原咲月
3位 小川彩
2位 塩釜菜那
1位 正源司陽子
OLE:池田瑛紗が入るんだ。意外と言えば意外。
楠木:アイドルを語る際には、やはり「成長」というのは無視できない要素なんでしょう。個人的には、向上心から目を背ける時があっても良いのかなとおもいますが。なんでもかんでも成長しろ、成長しろ、と云ってしまうと、真面目すぎるというか、息苦しいというかね。まあそれはともかく、池田瑛紗は急成長を遂げたアイドルだとおもいます。特にその「成長」を支えてきたものが言葉であるという点に、僕は引かれます。この人は本音の使い方が上手い。本音というものは、自己の内に唐突に芽生え、発見する場合がほとんどなんだけど、そうやって見つけた「本音」を胸に秘めておいて、ここぞという場面で披露するんだね、この人は。個人的には、彼女のアイドルの作り方って、極褒めするなら、イェーツやパウンドを想起させるので、好みですね。自分のものではない何物かを寄り集めてアイドルを作っていく。そんなふうに見えます。当初は、僕のなかでは”語れないアイドル”でしたが、今では”語れるアイドル”になりました。
OLE:ずる賢いよね、この子。
横森:ずる賢いのに処女性が高いんだよね。
OLE:処女性がアクセントになってるんだろうな。
島:以前、歌、ダンス、演技をウィークポイントとして挙げていましたが、どうですか。
OLE:まあでも与田祐希くらいには踊れるよ。
横森:『考えないようにする』だっけ。前作の。あれのパフォーマンスは良かったけどね。
OLE:うん。
楠木:5期生がセンターに立った楽曲の中では池田瑛紗の『心にもないこと』が音楽として一番魅力がある、という点が決め手かな。良い音楽を作るのは、秋元康だけではないですから。
「6位 小濱心音/AKB48」
楠木:摩訶不思議なアイドルです。ステージ上での存在感が並ではない。良くも悪くも、現在のAKBで、音楽のなかでビビッドに内面を打ち出せているのは小濱心音だけです。意外にも、劇場に生きるタイプのアイドル。ステージの上では、日常のどの場面よりも美しく見える。演者と観客の物理的な距離ですか、近ければ近いほど良いんだけど、その間合いでもっとも映える、もっとも可憐なアイドルです。
OLE:ペーソスと言えばいいのかな。仕方なくアイドルをやっているようなね、そういう感じがおもしろい。心をそそる何かがある。いや、まあ本人はあくまでも真剣にやっているはずだけど。最初は意気込んでステージに出てくる。でもいざ曲が始まると、なにか気に入らない点があったのか、もういいや、ってすぐ投げやりになる(笑)。
楠木:アイドル自身、自分はここでなにをやっているんだろう、なんでアイドルをやっているんだろう、と違和感を抱いているように見える。それを眺めるこっちもまた、この人はなんでアイドルをやっているんだろう、と考え問いかけている。しかしそうした思惟とは無関係に「アイドル」としてそこにいるわけです。しっかりと。要するに、自分がどうなりたいのか、とか、自分はこれこれこういうことができるとか、そうしたものがひとつもない、自分の内に自分を説得できるだけの確信がない、それにもかかわらず、なにかに衝き動かされて「アイドル」に成っている、ステージに立っている、というところに小濱心音の希求があるんだと思います。ファンが彼女に笑顔を求めるのもその一端でしょう。
島:坂道と比べると、やっぱり幼稚さが目立ちますね。気恥ずかしい。
横森:お遊戯会だよね。
OLE:まあそれは運営のセンスであってアイドルがどうこうの話ではないけどね。
楠木:お遊戯会を狙ってやって、それで売れたのがAKBだと僕は思うんですが。AKBの公演を初めて眺めた人間が、なんだこの幼稚さは……、と唖然とするのはまず間違いない。でもその「幼稚さ」がやがて「成長」への希求につながっていくんだね。成長をかけがえのない魅力とする少女たちを「アイドル」と読む、これは宝塚から来ている。宝塚がまだ少女歌劇だった頃、帝国の舞台へ初めて立つとなったとき、小林一三は時期尚早だと考えた。でも少女たちの幼稚さに魅力を見出す客もいるだろうとひらめき、覚悟を決めた。その勘は、見事に当たった。秋元康も同じような勘をもっていたんだとおもう。乃木坂のアンダー楽曲に『口ほどにもないKISS』という歌があるけど、あれは、未熟なものほど思い出になる、ということを言っている。人生を振り返った際に、心を揺さぶる思い出って、往々にして、自分が未熟だった頃の出来事なんだね。現在のAKB48でそうした「幼稚さ」の魅力を備えているアイドルを探すと、小濱心音にたどり着くことになる。
「5位 谷口愛季/櫻坂46」
楠木:「お遊戯会」というワードが出たけれど、一転、櫻坂のパフォーマンスはお遊戯会ではないですね。島さんの言葉を借りれば、見ていて恥ずかしくないグループです。口ずさむ歌そのものは、AKBと変わらない。どうしようもなく幼稚です。けれど踊りの質は高い。もちろん、勘違いしてはいけませんが、AKBのメンバーでも、櫻坂と同じ環境を準備してやれば、櫻坂のメンバーと同じように踊るはずです。櫻坂のメンバーだからこそ『承認欲求』が踊れる、というのは間違いで、櫻坂に入ったから『承認欲求』が踊れるようになるんです。要するに、ダンスの技量に個別性を見出すことはほとんど不可能で、個別性は、ダンスを通してなにを表現しようとしているのか、というところにしか発現しません。
横森:そういう”真面目”な考えを持ち出すとなると、櫻坂の子たちって振付師の表現を再現しようと頑張っているだけだから、個別性にはほど遠いよね。ダンスを通して個別性を獲得したいなら、平手友梨奈みたいに振り付けを毀さないといけない。
OLE:現状は、振付師の才能次第なんだよな。
横森:才能は文句なしなんだろうけど、『承認欲求』『静寂の暴力』『マモリビト』、この辺は全部おなじに見える。シビアだけど、正直、作家としては『不協和音』の頃から成長していないように感じるね。
島:アーティスティックですよね、ほかのアイドルグループと比べると。アートをやっているんだから、ダンスで個別性を出そうとすること自体が、倒錯した営為になりませんか。ダンスとか歌を通して、自分の人気を出そうとするんじゃ、それはアートじゃなくてエンタメです。顔も名前も知らない少女たちが踊っている。そしてそこに”値打ち”を見出だせる。この点に櫻坂46のアートがあるんだと思います。楠木さん流に言えば、作品への純粋な接触を叶えている、ということです。
OLE:そういうのを自己陶酔と呼ぶ(笑)。
横森:いや、そのとおりじゃない?だから作家(振付師)が溺れてるんだと思うよ。作家の才能に作り手が溺れてると言ったほうが良いのかな。ダンスを売りにしてるのは明らかじゃん。そうすると自然、ダンスを見せたくなるから、引きの絵が多くなる。別にそれ自体は問題ないよ。でもだんだんそれに甘えてくるんだよ。アイドルのアップはいらないんだから、美しいアイドルもいならない、ってね。これが行き着く先は、平手も森田ひかるも必要ない、画一したグループだね。
OLE:いろいろなことを逆手に取っているグループだとは思うけどね。口パクを逆手に取って、歌いながらじゃ絶対に踊れないような振り付けを作ったりね。
楠木:ステージの上で演劇を作りますよね。たとえばミュージックビデオで作った演技の純度を損ねずにステージに持ち込む。踊ることが演劇になる。というのがこのグループの特質なんだと思います。一方で、口パクの話題がここにきて循環し始めていて、今度は、ミュージックビデオのなかで描く演劇=踊りの熱が高すぎるのか、ステージの上で再現できなくなってきた。歌えない、だから踊ることにした。でも今度は、踊れなくなってきた。と、ここでようやく谷口愛季の名を出しますが、平手友梨奈や森田ひかるが素晴らしいのは、やはり演劇=踊りとする空間に見出すアイデンティティを、憧憬にしたまま終わるのではなく、オンティックに実現してしまう点で、若手のなかでは谷口愛季がそこを継いでいくのかなと、僕は思うんですが。
「4位 菅原咲月/乃木坂46」
楠木:菅原咲月については『理想の選抜を考える』という記事のなかで語っているので、新しい感慨は特にないんだけれど、とにかく作り手に、作詞家、作曲家に緊張感を強いるような、そんな存在ですね。乃木坂では、橋本奈々未以来の逸材ですか。現実的なプロセスはわからないけれど、結果として、ですね、橋本奈々未の卒業ソングをつくるとなって、結果として『サヨナラの意味』のような音楽がしっかり出来上がってくる。ここに彼女の魅力・才能があるんだと思います。菅原咲月にも似たような香気がある。ただ恵んでもらうだけじゃだめなんですよ。私に相応しい音楽を作ってみろ、という緊張感を作り手連中に与えられなければ、良い音楽は生まれない。たとえば『君の名は希望』を初めて聴いたとき、白石麻衣は、高揚したと言っている。まずアイドルが本心から良いと思えるような音楽を作らないと。最近なら、『人は夢を二度見る』がだめなのはアイドル自身がまったく高揚していないからですね。
島:そうした緊張感を菅原咲月さんがもつ具体的な根拠はどこにあるんだろう。
OLE:やはりビジュアルでしょう。これだけシンセリティなアイドルはいない。
横森:まあAKBの曲とか、似合わないだろうね(笑)。
OLE:曲というか衣装じゃない?井上和とか小川彩なら着こなすだろうね。でも中西アルノとか菅原咲月は似合わないだろうな。
島:たとえば『バンドエイド剥がすような別れ方』はものすごく幼稚だと思うんですが……。
OLE:あれはジャンプ台になっているから良いんだよ。
横森:バンドエイドを剥がすことが?(笑)
OLE:いやいや、歌詞の比喩じゃなくて(笑)。キャリアとしてね。
楠木:中学生の頃、文化祭の連絡だったかな、夜の8時に担任の教師から電話が来てね、次の日に準備するものとか、いろいろ伝えられて、でそれを同じ係のクラスメイトに僕が電話で伝えることになった。で、ある女子の家に電話したら母親が出てね、こんな時間になんの用だ、と怒られてしまった。文化祭の連絡で先生に頼まれたと言っても、どうにも信用してくれなくて、クラスメイトに代わってくれない。非常識だ、と怒鳴られる始末。逃げるようにして電話を切ったんだけど、こんな理不尽なことがあるのかと、僕は落ち込んだ。でも今にして思えば、あの友人の母親の怪訝さというのは、自分の娘を「女」として見ている、中学生である僕を「男」だと認識している怪訝さなんだね。同級生の親って、みんな優しいですよ。地元を歩いていると、○○君元気?とにこやかに声をかけてくれる。そういうもんなんだと、当たり前に考えていたけれど、これが男と女の問題になると、一変するんだね。他人にとって、男の子と女の子が男と女に変わる瞬間がある。菅原咲月というアイドルは、そういう「瞬間」をもっているんじゃないかな。
「3位 小川彩/乃木坂46」
楠木:歌、ダンス、演技、ビジュアル。すべてのジャンルにおいて冠絶した実力をもっています。また、その完成された自己を超克していくであろう可能性をもそなえている。上昇一途なアイドル。
横森:さっきも話したけど、俺はこの子が今一番だと思う。歌とかダンスとか一つとって語っても良いし、総合的にも語れる。かなりバランスが良い。
OLE:ぐんぐん伸びてるね。それとも最初から今の実力があったのか。それに気づけなかっただけなのか。問いかけが尽きない。底知れないね。
楠木:この少女の場合、成長、と書くよりも、ブラッシュアップ、と書いたほうが正しいのかも。『心にもないこと』を演じた当時と最新作である『いつの日にかあの歌を…』を比べると、表情が格段に良くなっている。演技が上手くなったとか、そういうことじゃなくて、見せ方描き方の問題で、それを自分なりに工夫して解決しているように感じる。極度のナルシストかもしれない。成長って超越的なものなので、日々の積み重ねが突然爆発して壁が取り払われる、みたいな。ブレークスルーと表現しても良い。壁がいつ崩れるのか、わからないまま叩き続けた結果が「成長」であるとすると、小川彩はそうした「成長」とは別のところで自分を伸ばしていますよね。かなり意識的に見えます。自意識の肥大がある。大園桃子と並ぶかも。大園桃子と比べると、まだまだ言葉・文章の力に弱いけれど。
横森:精神年齢が高いんだよ。
OLE:目つきがそうだよね。物事を俯瞰して、それを自分のものにしてる。
横森:このアイドルだけの世界観みたいなのがどんどん広がってる。
楠木:精神年齢の高さが独自の世界観を作ると言うなら、たとえば、あだち充の漫画がそうだよね。あだち充の漫画の登場人物は一様にして、異様に精神年齢が高い。高校生にしては世慣れしすぎている。人生の機微に通じすぎている。しかもその資質・美質は、職業作家としての鉄壁な設定、たとえば近親者の死という経験によってもたらされたものでもない。それぞれの登場人物が、それぞれ生まれながらにもっている。つまりあだち充が自分の世界観を表現した結果にすぎない。あだち充にしてみれば、自分のやりたいことをやる、自分の描きたい世界を実現するとそうなるというだけで、ただ熱血球児を書くだけじゃあだち充の世界観は完成しないんだね。小川彩にもあだち充の漫画と似たような非現実性があるんじゃないかな。
「2位 塩釜菜那/僕が見たかった青空」
島:塩釜菜那さん。グループのリーダーとのこと。
楠木:彼女を選んだ理由は単純明快です。小畑優奈に似ているから。
OLE:ああ、言われてみれば、似ているような、そうでもないような。
横森:笑顔に面影があるね。
島:やっぱり「他人のそら似」を高く評価するんですね。
楠木:僕はもうアイドルの希求というのはコルトレーンに集約・帰結すると確信しているので。他人のそら似を「好き」の動機にすると、個別性への裏切りだと大衆に非難されてしまう。そうした非難への回答として、個別性というのは、誰々に似ている、という状況のなかで、その誰々とは違うものを発見する瞬間にある、と返すのは安易で、誰々に似ている、という話題そのものがワンオブゼムから脱する瞬間なのだと、僕は思う。
OLE:グループアイドルだから成立する考えのように見えて、実はグループアイドルを成り立たせるのが「他人のそら似」なんだよね。まあこれは楠木君の受け売りではあるが(笑)。
楠木:「アイドルの成立」を考えると、幻想的であるかどうか、この点がまず条件になりますが、このアイドルは幻想的だ、と褒めるのは簡単で、じゃあそもそも「幻想」とはどういうことなのか、説明しなきゃならない。そうやって考えていくと「他人のそら似」として立ち現れるもの、不思議さですね、これは「幻想」を説明するんじゃないかな。現実=日常のなかに当たり前に姿を現す非現実の存在をアイドルと呼ぶ。じゃあその非現実性とはなにか、考えると、僕にとってのそれは「他人のそら似」なんですね。
横森:それを聴いて誰もが思うのは、塩釜菜那本人については何一つ語れていないって点じゃないかな(笑)。
島:正真正銘のアイドルだという説明になっているから、歌とか踊りを褒めるよりも説得力がありますよ。
横森:トップアイドルと似ているだけで良いならハードルが低すぎない?
楠木:そんなわけない。「似ている」を恣意的に引き出せるのか、考えてみれば、一目瞭然。レモングラスの香りってあくまでも超越的なものなんだよ。「他人のそら似」を発見した際の情動の大きさを考えれば、説明するまでもない。
OLE:この子はメディアに愛されているようだから、売れるかもしれないね。
「1位 正源司陽子/日向坂46」
楠木:この人は別格です。シーンの宝物です。
OLE:これといって弱点がないよね。オールドスクール・オーソドックス。
横森:弱点はあるんじゃない?ただその弱点がことごとく魅力にかえられちゃうってだけで。まあそういう意味じゃ天才と呼ぶべきかもね。天性のアイドルだよ。
OLE:賀喜遥香だよね、要するに(笑)。
楠木:個人的には、賀喜遥香という人はパラレルワールドの住人なんだと僕は思っています。フィクションの人ですから。すごく演じていますよね。「みなさんのことが大好きです」と言う、その言葉、立ち居振る舞いは、フィクションのちからを借りた行動力、アイドルとしての本音・表現でしかないんだけど、そうした芝居が、本人をフィクションに没入させるというか。アイドル本人がフィクションに没入すると、ファンにとってはそれが現実になるので。パラレルワールドに降り立つことになる。その意味では賀喜遥香は平手友梨奈に近い存在だと思います。パラレルワールドと表現すると突飛に思われるかもしれませんが、身近な物事にたとえれば、夢ですね。寝て見る夢。夢は、自己の再構築なので、言ってしまえば、パラレルワールドです。賀喜遥香は夢に出現しやすい人、ということです。夢を信じるというアンタンシテが、現実への確信になると云うよりも、夢を現実の魅力としてとらえていく。もちろんこれは自分を語っているにすぎませんが。一方で、正源司陽子はそのもうひとつの可能性の世界の起点になるアイドルだと僕は思うんです。『シーラカンス』ではパラレルワールドの入り口を上手にひらいている。
島:センターに選ばれたとき質の高い楽曲を貰えるのかどうかでアイドルの価値が決まる、という点では、条件をクリアしていますよね。
OLE:表題曲のセンターに選ばれないのは、彼女に見合う曲がまだ準備できていないってだけかもね。
横森:そんな事情がもし本当にあるとすれば、別格どころの騒ぎじゃないね。
OLE:どっちにしても『シーラカンス』は相当のちからを入れて書いてるでしょ、秋元康。
島:アイドルのことを真剣に語ろうとすると、思考の水準を一定のレベルまで下げなければならない、または下がってしまう。そういう情況に抗う姿を見せることで観客を安堵させたのが平手友梨奈だと思いますが、正源司陽子の場合はそうした堕落みたいなのを歓迎しちゃうような、そんな印象をもちますね。
楠木:『シーラカンス』のダンスのなかで、センターの肩に他のアイドルが手をあてるシーンがあるんだけど、その瞬間、正源司陽子は仲間から本当に力を貰っているような、勇気づけられているような、そういう表情をするんだね。身体に手をあてられると安心するじゃないですか。そういう心の動きが表情によくあらわれている。というか、こうやってすごく身近な部分で想像させるところに彼女の強みがあるのだとおもう。
2023/12/08 楠木かなえ