グループアイドルソングランキング 欅坂46編
平手友梨奈にとっての”普通”は、ふつうの人の”普通”とは、違う。大人は、同意がなければ物事を始めることも終わらすこともできないが、平手友梨奈は、言わば青春に沸きたった若者は、違う。
平手友梨奈の普通ではない部分とは、フィクションの内に異様なまでの居心地の良さを覚えるという、そのイノセンスに象徴されるだろう。15歳で、『サイレントマジョリティー』や『二人セゾン』を演じ表現している。「平手友梨奈」を表紙に飾った作品が爆発的なヒットを記録したことで、少女は、めのくらむような称賛をその身内に浴びただろうし、また、欲するようになっただろう。なによりも、秋元康の編み上げる音楽の内に、生きるうえで学ぶべき重要な部分があることを、いや、むしろその音楽が自己の青春において到達すべき理想郷であることを、確信したのではないか。社会のルールから逸脱し、大人に反抗しろ、と云うのなら、そうするし、黒い羊を演じろと云うのならば、そうする。みんなが期待する人間にはなるなと教訓するなら、それに従うし、10月のプールに飛び込めと云うのなら、もちろん飛び込む。彼女のそうした作品にたいする純粋さを向こうにまわして、これはあくまでもフィクションだから、と笑い、止めることは、作り手自身、みずからの存在理由を否定することになるから、絶対にできない。アイドルをとおして、若者にみずからの理想を説く。つまらない大人になるな、と唱える、その言葉の伝達者である少女が、その理想どおりに行動することで、やがてアイドルの破綻というかたちをもって大人たちを追い詰めることになる。この二律背反、大人へのほんとうの反抗にこそ、平手友梨奈の、欅坂46の魅力がある。
こうした感慨は、かなり短絡的で、安直に感じられるが、若者の思料と、それにもたらされる行動とは、往々にして、無垢で、短絡的なものではないか。短絡的であるがゆえに、大人になってしまった人間には、容易には計り知れないもの、想像し得ない感情の突風が、そこに生まれるのだ。


