菅原咲月はなぜ「選抜」に入らないのか
「アイドルの可能性を考える 第四十六回」
メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:カメラマン。早川聖来推し。
「菅原咲月 VS 池田瑛紗」
楠木:今、キケロの文章をこつこつと日本語に訳して勉強しているんだけど、まあとにかく美文というか、同時代だとカエサルが天才と言われていますが、キケロも負けず劣らず天才的です。歴史上最高の弁護士だけあって、読者が読みながら疑問に思うことを次の一行ですでに反証しているような、思考をめぐらせた文体です。レトリックにふんだんで、付け入る隙がない。カエサルと比較して劣る部分があるとすれば、ローマを離れてから、文章が皮肉的になって弱々しいという点でしょうか。初期と比べ後期の文章は、本音を隠すためにあったレトリックを、本音を伝えるためのものとして多用している。僕はアイドルに対しても似たようなことを最近つくづくと思っていて、真実かもしれない嘘を作っていた人が、ある段階をすぎると、嘘かもしれない真実を吐くようになる。要するに、デビュー時がピークのアイドルが多すぎるんですね。
島:アイドルの”肝”は「成長」ですよね。成長せずに下降するアイドルのほうが多いのだとすれば、「アイドル」という言葉の意味自体が変わってきませんか?
OLE:たしかに。
横森:「アイドル」って言葉に合致する存在が少ないってだけで言葉の意味は変わらないよ。「成長」は魅力の部分を云っているわけだから。
島:それはそうですが、「アイドル」はラテン語・ギリシャ語に成り立ちますよね、そこまで遡って意味に忠実になる必要もないんじゃないかってことです。
楠木:日本語で使われている「アイドル」はラテン語をフランス語で考えたものですね。
横森:「アイドルの値打ち」が理想として掲げるアイドル像はこれでもかってくらいフランスの作家、たとえばフーコーやガタリに影響を受けた後世の作家連中が提唱してきた「アイドル」になっている(笑)。しかも、最初は意図していなかったでしょ。
楠木:そうだね。あるとき、ふと、フランス文学がさんざんやってきたことをなぞっているだけだなと痛感したわけ。3年5年書き続けて、やっとはっきり見えてきたものが、もうすでに語り尽くされていたものだった。これが正真正銘のアイドルだ、って遠回りして遠回りして日本語でやっていただけなんだ、僕は(笑)。
OLE:フランス語として考える「アイドル」の中に日本的なものが、見つからないのか。
楠木:ローマ人は身辺にある物ならなんでも崇めますが、日本人は、身の回りで起こる不思議な出来事に神秘を思うので、そこは違うかもしれません。けれど、なぜアイドルが出現するのかと考えれば、結局ローマ人的なものの捉え方があってこそだという点はやはり捨てられないはずです。歩き疲れ、道に転がっている石ころを眺め、ほとんど気まぐれに「石の神よどうか私に力をお与えください」と唱えるのがローマ人なので、そうしたローマ人の性質を、フランスの作家が政治参加するなかで考えたことで「アイドル」の意味が作られたわけです。言ってしまえば、アンガージュマンの一つということですね、アイドルは。
OLE:それを聴くと、池田瑛紗の躍進も納得できる。まさにアンガージュマン=正真正銘のアイドルなんだね、彼女は。
横森:池田瑛紗が売れている理由に「媚び」を挙げるアイドルファンって、浅薄なんだよ。物事のうわべしか見れてない。媚びて売れるなら、そんな簡単な話はない。
楠木:媚び云々は、3流まででしょう。乃木坂のセンターやフロントに立つには、3流じゃ無理だ。5期生の多くはデビュー時がピークになりつつありますが、池田瑛紗は見違えるほどの成長を描いている。だから売れるんですよ。すごく簡単な話です。成長すれば、アイドルは売れます。売れないアイドルは成長していないからです。池田瑛紗が凄いのは、その「成長」そのものがアンガージュマン=アイドルに支えられているという点でしょう、やはり。成長、成長と繰り返しても、曖昧な表現で逃げているようにも見えますが、成長するということは、要は、いろんな顔が見える、ということですから、作り手にしてもイメージが湧きやすい。イメージが湧くということは、作品づくりにおいて優位に立てるということです。
OLE:井上和が特にそうかな。
横森:井上和は別格中の別格だよ。イメージが湧くってよりも、作り手の理想を担うメンバーだから。「おひとりさま」とか「チートデイ」とか、明らかに女子ウケを狙ってる。時代的な記号を使って間口を広げるための存在として置かれている。
楠木:井上和と正源司陽子の共演って、最近じゃ、いちばんワクワクしたかも。乃木坂内では井上和に並ぶメンバーがいないから。ワクワクするというのは、どんなジャンルでも大事なことだと思うんだけどな、僕は。
横森:中西アルノを強引にでも連続でセンターに抜擢していたら違っただろうね。良くも悪くも。大衆と言うか、愚衆と言うべきかな。一部のファンの声に屈して外してしまった。それで本人も反省しちゃって、個性がなくなった。その出来事がそのまま乃木坂のグループとしての魅力に返ってきてる。
OLE:今の中西アルノはただ人気があるアイドルってだけだからね。
楠木:たしかに乃木坂を体現していますね(笑)。
横森:今の乃木坂は「山王」だから、ファンも山王を応援する観客になっている。SLAM DUNKを読みながら、湘北を応援するのか、山王を応援するのか、ほとんどの読者は湘北のはず。そこが乃木坂の弱さだよ。まあ乃木坂のファンは湘北を応援しているつもりなんだろうけど。
島:池田瑛紗と並ぶのは?
OLE:菅原咲月かなあ。今、池田瑛紗が立っているポジションは、菅原咲月が担っていてもおかしくなかった。
島:アンダーですよね。
OLE:作り手のうちでなにか気に食わない点があるんだろうな。
島:なるほど。菅原咲月はみなさんデビュー時に高く評価していましたが、実際には、彼女もまた、デビュー時がピークになってしまった、ということでしょうか。
楠木:菅原咲月の場合は下降しているんじゃなくて、ただ単に第一印象が作り手の理想に即したもので、そこから徐々に自分らしさが出てきた、けれどそれがあまりうまく壺にはまっていないってだけだと思いますが。池田瑛紗と比べるなら、まずなによりも文章の魅力に乏しい。文章がつまらないっていうのは、あるいは、アイドルとして致命的かもしれませんが……。
OLE:「他人のそら似」ってのがあったじゃない。あれがパスファインダーになっていたのに、いつの間にか、はぐれてしまったんだね。
楠木:アイドルを誰よりも間近で眺めているのは、ファンではなく、作り手ですよね。菅原咲月を間近で眺める人間がアイドルにたいするイメージを転向した、たとえば『バンドエイド剥がすような別れ方』とか、顕著ですが、ああいう幼稚な歌を菅原咲月に用意した点に、作り手の思惟があらわれていると思う。『絶望の一秒前』のMVの完成を見て、それで『バンドエイド剥がすような別れ方』を菅原咲月に託すというのは、正直、センスがない。音楽に生かされないアイドルは、やはり人気者にはなれないでしょう。
OLE:橋本奈々未なんか初期は髪型からなにからなにまできっちりプロデュースされていたと話している。そういう意志が今の作り手にはないんだな。ただただアイドルの生まれ持った資質に任せているだけ。
島:そうですかね?編集者の目線で言わせてもらえば、池田瑛紗は野性的です。アンガージュマンですか、たしかに自己の行動力で成長を果たしているようです。一方で、菅原咲月は、芥川賞を狙って編集が捏ねくり回した結果、失敗しちゃった、みたいな、無責任さが見え隠れします(笑)。選抜されない理由は、うまく料理することができなかったって、自覚しているからですよ、きっと。失敗した料理を客に出す料理人はいません。
楠木:この人は映像で活きる人だと思うので、『古書堂ものがたり』でいちばん面白かったのが菅原咲月が主役を演じたエピソードです。映像だとより一層美しくなるし、喜劇でもシリアスでもなんでも似合うというか、その中間に立っています。プリンを探そうとタンスを見つめるときの表情とか、今でも憶えていますよ。日常が不意に非日常に変わってしまうようなね、そういう作品とまた出会えれば、成長できるかもしれません。
横森:池田瑛紗は演技ができないからね。他のメンバーは「演技」に活路があるかもね。
2024/11/10 楠木かなえ