増田三莉音ちゃんを「増田三莉音」として批評するまでの記録的メモ

「言葉が芸術に変わる瞬間」
絶望的なのは、人が鳥や草のように、ただ生きることが出来ないことではなく、素人の小説や下手なピアノにやりきれなくなってしまうということだ。そしてそこに輝きの片鱗を見い出せなくなることだ。(福田和也)
言葉が芸術に変わる瞬間があるように、アイドルもまた少女が芸術へと身を変える瞬間がある。
現行のアイドルシーンを見れば、日向坂46の正源司陽子、大野愛実が圧倒的で、正直に言えば、このふたりを、とくに正源司陽子を超えるようなアイドルの出現を想像することは困難をきわめるが、しかしもしそこに並ぶ可能性をもった少女がいるとすれば、それは乃木坂46の増田三莉音になるだろう。
増田の強みであり、また弱点であるのは、批評的な言葉の一切をふうじこめるその無垢さにある。その無垢さがなんらかのかたちをとって幻想的なイメージへと成長を遂げれば、コアなファンはそれを各々の言葉で表現しはじめるだろうし、やがて批評が生まれるだろう。評判記というのはその両点のあいだに立った言葉と捉えて良い。
増田三莉音を批評するために、今はとにかくその「あいだ」を走り書きのメモで埋めることにする。少女の言葉、立ち居振る舞いから受ける印象をとにかく一筆書きに連ねていく。そうした言葉がどんどん誇張していって、なにものをも寄せ付けない塊になったとき、言葉が芸術に変わる。
「アイドルの値打ち」における執筆過程を楽しんでもらえれば、と言い換えても良い。
増田三莉音 評判記
・真実があって、それが嘘だと思われた際に、それはそのとおり嘘だと表現できる、嘘のつける人。
・なにを言われても、どこふく風、という態度がとれる。
・言葉に意識的で、端正な文章を書く。だが、自分で自分のことを、つまり自分の感情を理解しているつもりで書いたその文章をアイドル活動の実体をとおして裏切っていく点がおもしろい。
・乃木坂のこれまでのどのメンバーにも重ならない少女という意味で乃木坂の知らなかったカーテンを開けている。
・増田三莉音という無垢な少女が置かれたことで、それを見守るメンバーという光景・図式が生まれ、むしろその見守るメンバーたちの成長をファンがようやく実感するという逆説が生まれている。
・その点で問えば、この無垢な少女を前に、自分もおなじくらい無垢なのだと振る舞える少女などいるだろうか。彼女を見守る、護る、という態度をだれもが取ってしまうのではないだろうか。つまり、処女性が奪われる、ということだ。その意味で、最も愛され、かつ恐れられる存在と言える。乃木坂が処女性を売りにしない清楚なお姉さん集団だとすれば、増田三莉音ほど最高のスパイスはないし、アイドルの古典的王道がやはり処女性であるとすれば、増田三莉音ほど主人公感のある少女はいないということになる。
とりあえず今はここまで。これは随時更新する予定だが、実際にこう言葉を並べてみると、もうすでに批評精神が宿ってきたように思えるから不思議だ。
2026/01/24 楠木かなえ

