一般人にオススメしたい、アイドルのミュージックビデオ ランキング

特集

(C)君に叱られた ミュージックビデオ

「アイドル批評家が選ぶ傑作MV 10選」

今日では、「アイドル」と言えば、それは夢見る少女たちが一ヶ所に集合し整列するグループアイドルのことを指し、「アイドルグループ」と聞けば、まず想起される名称、それはAKB48ひいては乃木坂46になるのではないか。会いに行けるアイドル、というイメージがもたらす”アイドルの身近な存在感”は令和がはじまった現在もまだまだ健在で、AKBだったり、乃木坂だったり、欅坂だったり、前田敦子だったり、西野七瀬だったり、平手友梨奈だったり…、グループ単位での流行り廃りはあるけれど(平成を代表するアイドル・前田敦子いわく、彼女の眼から眺めた現在のアイドル――主に乃木坂46を指して――とは、アイドルであり続けながら様々なジャンルに挑戦し自分の可能性を試せる場所、であり、アイドルの酸いも甘いもかみ分けた彼女から発せられたこのイメージは、ほんとうの夢への架け橋として「アイドル」がありその夢のためにアイドルを卒業するといった、従来のアイドルのあり方に変化が生じていることを教えている)、アイドルシーンそのものは今なお燦然と輝いている。
いずれにせよ今日のアイドル観を決定づけ、アイドルシーンの主流を歩くのがAKBグループであり、また坂道シリーズであり、その先頭を歩き、少女たちの夢を指揮する人物として「秋元康」がいることは、もはや周知の事実である。作詞家でありプロデューサーである秋元康が手がけるその「アイドル」を100点満点で採点し批評するのが『アイドルの値打ち』なのだが、アイドルを批評していくなかで、最近、身にしみて感じるものがある。それは、アイドルを「アーティスト」と形容した際に聞こえてくる、嘲笑。アイドルを演じる少女に向かって「アーティスト」という言葉を用いると、周囲から笑い声が聞こえてくる、ような気がしてならない。アイドルをアーティストと呼ぶことが、手放しの称賛、と捉えられ途端に文章から説得力が抜け落ちるのだ。
なんらかの手段を用いて、自己の内に秘めた想いを「表現」しようと試みるのならば、それは文句なしの芸術、つまりアートであり、作詞家兼プロデューサーとして働く秋元康の詩情の上で踊るアイドルもまたアーティストたり得るのだが、この当たり前の事実に至る大衆は極端に少ないようだ。

おもしろいのは、アイドルをアーティストと呼ぶことに違和を唱え、誰よりも拒絶するのが、ほかならない、アイドルシーンに没入するアイドルファンである、という点だろうか。その最たる現象が、アイドルファンによる”アイドルファン以外の人間の一般人化”であり、アイドルに関心を示さない人間のことを「一般人」と名付け、呼び、アイドルに没頭する自分たちとのあいだに一本の線を引き、かれら彼女らのことを社会に通じた、見識にあふれた存在だと捉え、その視線を過剰に意識している。
考えるまでもなく、「一般人」よりも、「アイドル」に没頭する人間のほうがアイドルの魅力に接近できるはずだが、今日のシーンにあっては「アイドル」というコンテンツにハマり込まない人間による、偶然アイドルを眼にした際の、気まぐれな感想を、真実に到達する声と捉え、崇める傾向にある。
歌、踊り、演技、ビジュアル、そのすべてが不完全・未熟でしかないアイドルの横顔に魅力を見出してしまった自分の精神の異常さ、邪さ、その自覚への反動なのだろうか。アイドルに関心を示さない人間こそ精神を正常に保った人間つまり一般人であり、そんなかれら彼女らから高い評価を受け認知されているのならば、そのアイドルは本物だろう、と確信して行く倒錯が引き起こされているわけである。
多くのアイドルファンの中で、アイドルを演じる少女たちがアーティストになり得ない理由の一片がここにあるのかもしれない。アイドルシーンに、そのジャンルに没頭し、彫琢された眼力を持つ”ヲタク”たちが、世間に対し後ろめたさを感じ、自分が良いと思ったアイドルでも、一般人に評価されないのであれば、自分の価値観に間違いがあった、勘違いだった、と挫折してしまうところに「アイドル」がアートたり得ない理由がある。

たしかに、トップクラスの女優をテレビやインターネットで見ることに慣れた一般大衆を引きつけるだけのビジュアルをそなえた女性グループアイドルなど、数えるほどしかいない。現役ならば、乃木坂46の齋藤飛鳥、井上和くらいなもので、他の数百名に及ぶ現役のアイドルのすべてが、生まれ持ったビジュアルひとつで大衆の関心を誘うような、タレント、と真に呼べる水準に達していない。
しかし、むしろそうした、一般大衆の興味・関心から隔てられてしまうところに、異形に、アイドルシーンの無限の魅力があり、タレントに成りきれない凡庸な少女がしかし芸能界の眩しい場所に羽ばたく、夢を叶える、というところにアイドルの尽きない強さ、どの時代においても消えることのない存在という古典に与する強さ=ビルドゥングスロマンがあるのはもはや説明するまでもない。
つまりは、一般人なる者の声量をシーンに持ち込み吟味することは、有益になる場合もあるにはあるのかもしれないが、アイドルの真の価値・魅力を発見する行為からもっとも遠く離れた場所での試みと云えるだろう。アイドルの真の価値・魅力を探ろうとするならば、シーンに没頭する人間の声を一般人に投げつけ反応を見るべきだし、既知のアイドルの魅力、自分がアイドルになぜ魅了されたのか、アイドルのどこに引かれたのか、世間一般に果敢にさらけ出すことが、シーンの威光・隆盛につながるのではないか。

今回は、こうした批評家めいた感慨のもと、アイドルのことを未だよく知らない人間にその魅力を教えようと語るならばそれはどのような手段になるか、考え、その目的にもっとも適すのはユーチューブ上に公開されているミュージックビデオになるのではないか、ならば10本、選び、語ってみよう、とまた遊び心を宿した。
作品を選定するにあたって、AKBグループ、坂道シリーズにおいてこれまでに制作されたミュージックビデオのなかで現在ユーチューブ上(ショートバージョンを含む)で閲覧できるものを、もう一度、見返した。
正直に云えば、当分、アイドルの作品には触れたくない。
『アイドルの値打ち』でまだ批評をしていない作品の中に、すでに批評を作った作品に割り込むだけの力強さをもったものがあるかもしれない、と淡い希望をいだくも、今回掲げた目的の中では、叶わなかった。この点が疲労感と徒労感を与えるのかもしれない。とくにAKBグループについては、ほとんど、見るに堪えない。とにかく、古臭い。かつて多くのアイドルファンを魅了した作品群が、今ではどうしようもなく陳腐で、くだらなく感じるのはなぜだろうか。唯一、異なる場所で同じ屈託を抱いた少女たちが一ヶ所に集う「群像」を描いた『Green Flash』に引かれるが、その『Green Flash』に乃木坂46の生駒里奈が参加しているのだから、皮肉的だ。シーンの主流が、主役が明確に入れ替わった瞬間、と云えるかもしれない。 

批評家は己の時代のとりこになることを避けなければならない、と云ったのはグレアム・グリーンだが、アイドルのミュージックビデオに限って言えば、その質はどんどん良くなっており、たとえば乃木坂46、欅坂46の多くの映像作品にはAKB的古臭さは漂っておらず、おなじテーブルの上に並べ比較するならば、やはり乃木坂46、欅坂46の、とりこになる、しかないようにおもう。
AKB48に比べ、乃木坂46の映像作品の質が高い理由は単純明快である。それは、作品を演じるアイドルの質が高くなったから、と言うほかない。ビジュアル、演技、踊りのすべてが幼稚・稚拙であるAKBと比較すれば、『君の名は希望』において演劇の風に吹かれて以降、ソフィスティケートされてきた乃木坂の作品群は、アイドルが飛びきりに美しく、可憐に映されている。
アイドルに魅力さえあれば、アイドルのとりこにされ、この少女のことを自分の想像力のなかで、自分の作品のなかで、自分のおもうように語りたい、と考えるクリエイターがシーンに飛び込んでくるのも、当然の結実。西野七瀬、平手友梨奈という、作り手の才能を刺激するアイドルの出現によってシーンに才能あるクリエイターがあふれた。才能あるクリエイターによってシーンが活気づけられた結果、遠藤さくら、筒井あやめ、藤吉夏鈴といった、「アイドル」と形容するよりも「若手女優」と形容したほうが似合う少女がシーンに誕生した。
現在のアイドルシーンは、このような段階にある。
よって、今回選び出した映像作品のほとんどが、乃木坂46ひいては坂道シリーズのミュージックビデオであることを、あらかじめ付言しておきたい。
各アイドルグループの作品をバランス良く紹介する、などという企図はまったくもっていない。アイドルファンとして、自分が本当に良いと思ったものだけを、選び抜いて、ここに挙げる。


一般人にオススメしたい アイドル MV 10
ジャンピングジョーカーフラッシュ

(C)ジャンピングジョーカーフラッシュ ミュージックビデオ

乃木坂46・30枚目シングルのカップリング曲。
アイドルシーンにほとんど関心を抱かない人間には、まず、現在のアイドルシーンの主流がどこにあるのか、教える必要があるだろう。現在のアイドルシーンの主流を考えれば、それはまず間違いなく「乃木坂46」であり、『ジャンピングジョーカーフラッシュ』はその乃木坂46の中心に立つ「4期」の、最新の期別楽曲となる。
「青春」をテーマに歌った今作品の見どころは、一瞬で通り過ぎてしまう「青春」の儚さをアイドルが演じ表現するだけでなく、「青春」の儚さをカメラの前で歌い踊り表現する時間そのものがアイドルを演じる少女にとっての「青春」になるという、アイドルと青春の関係を、アイドルを演じる少女の視点に立って記録している点になるだろうか。これまでにありそうでなかった作品に仕上がっている。
目の覚めるような美少女は一人もいないが、それぞれが個性的な色彩を備えている。歌詞、歌声、踊り、映像の端々に見出すそのあどけなさに後ずさりするも良し、その瑞々しさや凡庸さに引かれるも良し。こんな普通の子でも何万人もの観客に囲まれたステージの上でキラキラと輝くことができるんだ、という不思議さ卑屈さが、こんな自分でも……、という希望にすり変われば、なおのこと良し。


一般人にオススメしたい アイドル MV 9
僕は僕を好きになる

(C)僕は僕を好きになる ミュージックビデオ

乃木坂46・26枚目シングルの表題曲。
グループアイドルに成り、アイドルの順位闘争を勝ち抜くことが、イコール、芸能界における成功、女優、モデル、歌手、バラエティタレント…、ありとあらゆる経験、サクセスにつながるという今日のアイドルシーンの集大としての綺羅びやかさを「映像」に写している。
自分ではあるけれど本来の自分ではない存在、つまりアイドル=日常を演じることと、その日常を演じる人間が女優となって、本に書かれた役=自分ではない別の誰か、を演じることの、ジャーゴンな生活によってやがてアイドル自身が「本当の自分」を見失ってしまう情況のなかで、僕は僕を好きになる、と歌った、希望と諧謔(かいぎゃく)に満ちた作品。また今作は、デビュー当初から前田敦子に似ていると話題になった山下美月がシングル表題作のセンターに初めて立った作品でもある。


一般人にオススメしたい アイドル MV 8
青春の馬

(C)青春の馬 ミュージックビデオ

日向坂46・4枚目シングルのカップリング曲。
「アイドル」はどんなときでも笑顔を振りまかなければならない、という誤った認識を持つのは、アイドルのことを仔細に眺めるファンだけではない。アイドルを演じる少女の多くもまた、その認識に従い硬直した笑顔をステージの上で振りまいている。しかし実際にシーンにおいて強い主人公に選ばれ描かれるのは、泣き叫んだり、俯いたり、怒りをあらわにしたり、アイドルを演じる日常のなかで素顔をさらけ出す大胆さを有した人物、たとえば前田敦子、西野七瀬、平手友梨奈なのだ。
日向坂46がおもしろいのは、アイドル=笑顔とするその誤った情報の刷り込みに囚われた少女たちの集大成感、収斂を打ち出したグループであるという点である。どれだけ屈託を抱えていてもアイドルは笑顔を作らなければならないという強制と抑圧のなかで、自身の屈託の在り処をファンに指し示す倒錯の動揺を描きつつ、しかしそれすらも笑顔の内で進展させるという、いわば「アイドル」の下敷きにされた屈託の共有の内に活力を見出すような、古くもあり新しくもあるスタイルを打ち出している。
今作『青春の馬』のミュージックビデオは、そうした日向坂46のスタイルを見事に映像に落とし込んだ、と云うよりも、蒼の衣装をまとった少女たちが楽曲を演じ表現した瞬間、そこにグループのアイデンティティが宿った、モニュメントと呼べるだろうか。


一般人にオススメしたい アイドル MV 7
誰かの耳

(C)誰かの耳 ミュージックビデオ

SKE48・23枚目シングルのカップリング曲。
アイドルシーンが、アイドルの魅力が、世間一般から隔てられている以上、当然、そのファンには、常識を振り捨てた、変わり者が多い。SNSが流行した今日では、アイドルは、アイドルを演じる少女たちはそのかれら彼女らの声、偏愛、偏執、いわれのない中傷、耳をふさぎたくなる情報に日々囲繞されながら「アイドル」を作り上げなければならない、精神の耐え難い状況に置かれている。”噂の奴隷”になった大衆の視線に圧し潰され、「アイドル」から脱出する少女は多い。『誰かの耳』は、そうした情報の囲繞に対し小気味良いダンスの一体感をもって反抗した、生(なま)の若者の葛藤を表現した、SKE48一世一代の会心作。


一般人にオススメしたい アイドル MV 6
夜明けまで強がらなくてもいい

(C)夜明けまで強がらなくてもいい ミュージックビデオ

乃木坂46・24枚目シングルの表題曲。
明日また今日が始まるという退屈な日常、自分にはたしかに他人にはない魅力・才能があるのだ、と天井を見つめ唱え続ける日常、今の自分が自分の未来になんら貢献しないだろうという確信のなかで、もだえる少女が「アイドル」という存在に出遭い救出される、過去を乗り越えて行く、アイドル=希望、とする今日のアイドルシーンの主流を歩む乃木坂46の自己啓発によったその物語を、音楽・映像の力のなかで再現した力作。
「希望」に導かれた少女として、センターには遠藤さくらが、その両燐に賀喜遥香、筒井あやめが登用された。『君の名は希望』のヒット以来、育んできた一本の木に果実が実った瞬間と云えようか。
人が涙を流すのはこの世に生を享ける瞬間だけではない。生まれ変わる瞬間にも、人は涙を流すのだ、という「夜明け」を歌っている。


一般人にオススメしたい アイドル MV 5
アンビバレント

(C)アンビバレント ミュージックビデオ

欅坂46・7枚目シングルの表駄曲。
アイドルのインタビューを読み漁っていると、2018年以降、欅坂46の楽曲をきっかけにアイドルシーンに対する興味を抱いたと話す少女がけして少なくはない数存在することに気づく。「アイドル」の扉をひらくにあたって、アイドルを演じるにあたって、欅坂46を、その主人公である平手友梨奈の横顔を憧憬にする少女が、あとを絶たない。ゆえに、今日のアイドルシーンの魅力を語り紹介する際には、すでに消えてなくなってしまった欅坂46というグループの偉業と、平手友梨奈というアイドルの才能を看過することは許されない。
多くの若者の内で欅坂46の作品群が魅力に映る理由は、単純明快である。それは他のアイドルの作品と比べ、ダサくないから、である。楽曲、歌、ダンス、演技、若者の情動をつつく歌詞のすべてが、エンターテインメントの枠組みから脱しようと試み、アーティスティックに真に振る舞うから、である。自分のやりたいように生きる、自分の表現したいものだけを表現する姿勢こそ、芸術なのだ。
平手友梨奈という少女がこれだけの人気を博した理由の一つに、楽曲の世界に忠実に「アイドル」を演じ切る従順さ徹底さ、が挙げられるのではないか。彼女が編み出す楽曲の世界観に浸るファンは、アイドルの日常部分を眺めることでその空想から醒め現実に引き戻されるかもしれないという不安を一切持たない。現実との接点を失い、その甘やかでスリリングな世界に浸っていられる。しかし、いつかかならず終わってしまう青春の脆さを前にした際の焦燥感と似たような、いつまでもここに居てはだめだ、と焦燥に駆られるような、衝動性を投げつけてくるところに平手友梨奈=アンビバレントの魅力がある。


一般人にオススメしたい アイドル MV 4
もう森へ帰ろうか?

(C)もう森へ帰ろうか? ミュージックビデオ

欅坂46・6枚目シングルのカップリング曲。
夢に憑かれた人間特有の情動、とくに順位闘争における挫折、屈託を廃墟に横たわり「現実逃避」に集約していくことの、その救いのなさを、森=ノスタルジーのなかで救いとして描こうとする、これもまたエンタメを振り捨てアートに舵を切った、意欲作。
『もう森へ帰ろうか?』の見どころは、観客に理解されないことを恐れない、心地の良い芸術性のバラッドに沈み込んだ際に醸し出される独りよがりな雰囲気を、音楽の魅力をもって支え、克服している点だろう。こうした、わけがわからない、なにかを表現した”つもりでいる”ようにしか見えない映像の有り様、アイドルの有り様が、後日、多くのアイドルグループに模倣され、それがことごとく失敗に終わったのは、単に、音楽の魅力によった作品を編めなかったから、に過ぎない。こうした遠大な作品をつくりたいと考えるならば、才能のあるクリエイターと、才能のあるアイドルを揃えなければならない。


一般人にオススメしたい アイドル MV 3
ブランコ

(C)ブランコ ミュージックビデオ

乃木坂46・16枚目シングルのアンダー楽曲。
2016年に制作された作品であるから、歌唱メンバーのほとんどが「アイドル」をすでに卒業している。しかし作品そのものはまったく色あせておらず、令和がはじまった今眺めてみても、その物語に入り込むことが可能。音楽のなかで、映像のなかで、アイドルのそれぞれが生き生きと”冒険”を続けている。
アンダーメンバーとして活動してきた一人の少女の内で胎動していたものが、ついに結実した。才能が開花し空に羽ばたく、強く大地を蹴って「選抜」に手を伸ばす、という希望のストーリーを描いている。
今作品の見どころは、そうした希望に満ち溢れたストーリーを描いた作品のタイトルが「ブランコ」だというアイロニーにあり、成長を果たし、アンダーメンバーから選抜メンバーへと上昇していった少女も、結局はブランコに揺られるようにして、もう一度、アンダーに戻ってきてしまうという希望の破断を、しかし情感豊かに恋愛と絡めつつ勇敢に前だけを向き歌っている点に、今作品の特筆と特質がある。


一般人にオススメしたい アイドル MV 2
今日は負けでもいい

(C)今日は負けでもいい ミュージックビデオ

NGT48・4枚目シングルのカップリング曲。
なによりもまず、作品で主役を演じた少女が、その後、眩しいスポットライトのひかりをひとつも浴びることなくシーンから退いてしまったその夢のなごりに、言い様もなく引かれる。
おそらくは、AKB48から始まった平成のアイドルシーンの有り様、アイドルの色遣いをもっとも簡明にあらわした作品がこの『今日は負けでもいい』だろう。映像の中で走り回る少女たちのすべてが未成熟、未完成、不完全であり、作詞家・秋元康の編み上げる幼稚な歌謡曲の上をアイドルが稚拙に歌い踊るという、この構図がかもし出す圧倒的な無垢の活力に心を揺さぶられてしまったのならば、貴方も立派なアイドルヲタク。


一般人にオススメしたい アイドル MV 1
君に叱られた

(C)君に叱られた ミュージックビデオ

乃木坂46・28枚目シングルの表題曲。
この現代で、大衆の目に触れるかたちで、ディケンズの『大いなる遺産』のような立身出世と泡沫、シンデレラストーリーを描けるのは、まず間違いなくグループアイドルだけだろう。

今作では、乃木坂46という、すでに人気・知名度を確立したアイドルグループにあたらしく加入した少女が、その夢の舞台の主役に引き上げられるという誰もが羨む王道のストーリー展開を、他の多くのアイドルの魅力を損なうことなく、濃やかに、「希望」の価値を底上げするように、描いている。
平凡な少女が、ある日突然、夢の世界の主人公に選ばれるというけして古びることのない、大衆をとりこにする尽きない魅力を宿した物語をしっかりと描いた作り手の憧憬の深さとセンスの良さに、脱帽させられる。
平手友梨奈が与えた衝動と同じように、後日、この作品との、賀喜遥香との出会いをきっかけにして「アイドル」の扉をひらいたと述懐する少女が、シーンに溢れるのではないか、と想像する。

2022/10/17  楠木かなえ