日向坂46の『君と生きる』を聴いた感想

「アイドルの可能性を考える 第六十一回」
メンバー
楠木:文芸批評家。映画脚本家。趣味で「アイドルの値打ち」を執筆中。
OLE:フリーライター。自他ともに認めるアイドル通。
島:音楽雑誌の編集者。
横森:写真家・カメラマン。
「デペイズマンに生きる、上村ひなの」
島:僕はもう今年はこれ(『君と生きる』)を超えるアイドルソングは出ないと思いますね。今年だけじゃなく、しばらくは出ないんじゃないかな。だって秋元康が引退したらそれこそ再評価されるような楽曲でしょう?『365日の紙飛行機』よりも全然こっちのほうが写実的で良いですよ。
楠木:写実的と言っても、言葉の魔法を音楽にかけていますよね。すごく心地が良い。このテーマでこの言葉づかいができるのは、やはり詩人でなければ、とてもじゃないけど叶わない。
横森:正面から書いたら私小説になっちゃうからね。
楠木:これだけ高次元に自分の人生をアイドルにパラレルに表現できるのは、やっぱり凄いよ。テーマは普遍的なものだけれど、作品自体はグループアイドルにしかできないものをつくっている。「アイドル」という場所に自分の身を置くことで見えるものがある、というのは希望的だし、そうした秋元康のデペイズマンな部分が、そのまま上村ひなのというアイドルの立場に引用されて、情感が生まれている。
横森:いきなりこうやって代表作が生まれちゃうのがグループアイドルのおもしろさだろうね。どんな作品ができあがるのかは、アイドル本人だって直前まで想像もできないだろうし。
島:でもこの曲は、ほかの誰々がセンターだったらどうなったんだろう、みたいな感慨は出てこないですよね。
楠木:たしかに、ほかに思い当たらない。
横森:嫉妬はあるんじゃない?アイドル当事者にしてもファンにしてもさ。これだけの曲が出てきたら、自分がこれをセンターでやりたかった、自分の推しがセンターをやってほしかった、って。
楠木:「FLOWER FLOWER」というバンドで『宝物』という曲があって、僕は好きでよく聴いている。この曲は似ているなあ。タイトルの「君と生きる」と、別れを描いたミュージックビデオがまったく対立しないのは、別れを予感する、別れに直面するからこそ、「君と生きる」と口にできるようになるからだね。そういう意味では、人生の後悔、人生の佳境が見えるから、情動がある。
島:アイドルの演技が素晴らしい。
横森:演技が良いから、映像のシチュエーションを自分の人生に重ねることが音楽を聴くことにつながってるよね。
楠木:エキストラの使い方も上手いね。演劇だよ、これ。
島:とくに病院のシーンが素晴らしくて、しかもこのふたりは新人なんですね。驚きます。
楠木:5期生だと蔵盛妃那乃と下田衣珠季も演技ができますね。
横森:こういう演技は、技術っていうよりも体験なんだと思う。作品をとおして「別れ」や「死」を直接経験しているんじゃないかな。それは演技ではないと言う専門家もいるけど、俺はこういう演技のほうが好きだね。アンソニー・ホプキンス、ダニエル・デイ=ルイス、メル・ギブソンなら、俺はメル・ギブソンの演技を選ぶ(笑)。
楠木:銀幕でスターになるには、オーバーな演技をオーバーに見せず、人間の誰もがもつ一面として描き出さないといけないからね。感情だって時間編集と同じようなプロセスで物語化しないと、抑揚がつかない。メル・ギブソンはそういう部分でやっぱりスターなんだと思う。まあ天才ということならアンソニー・ホプキンスだろうけど……。
島:ダニエル・デイ=ルイスなんかは役作りって言葉の新しい枠を作り出した役者ですからね。でもアイドル的ということならメル・ギブソンは文句なしにスターでしょうね。
楠木:アイドルの話題に戻すなら、たとえば櫻坂46の音楽は、等身大の若者に向けられたであろう音楽を大人としての感情のなかでしか咀嚼できないという点に味がありますが、この『君と生きる』を見るに、日向坂46はもっともっと音楽的に広がりがあって、だれもが抱く感情というのがあって、でもそこにたどり着くには途方もない距離があるというか。初恋を想うにしても、愛した人との人生を想うにしても、そこに立てるようになるには人生の時間がかかる。でもアイドルがその距離を埋めてくれる、ような。
「人類は今、AIに対する反抗期にある」
島:こうした純粋な作品をAIの話題に持ち込みたくはないのですが、AIにはこういう作品は絶対に作れないって確信が僕にはあって、楠木さんがこの作品を希望的と言ったけれど、その点で僕も希望を感じるんですね。
横森:AIをチャットAIに限定するなら、AIって、説明すれば誤解でもなんでも最終的には解決するだろうっていう信念の上で設計されているのが笑っちゃうよね。設計自体が人間理解からほど遠くて、SF映画の陳腐なイメージを後追いしている。AIに対してAIをバカにした発言をするとAIもそれにあわせてネガティブな対応を見せるんだよな。ネガティブな言葉に対してはネガティブな反応で返すというAIの設計は、人間的な自然な言葉を生成しようとする結果なんだろう。でもそれって機械であるAIに対して人間が望むあり方から逆行しているというかさ。ロボットとしてはまったく不自然な反応になっている。そのロボットじみている点がSFなんだよな。
楠木:機械という点なら、車とか、電車とか、自転車とか、それこそ車椅子とか、それらは都合よく利用するのにAIはダメなのかと僕は思ってしまうんだけど(笑)。人類は今、AIに対する反抗期にあるんだろうな。
島:機械と言っても最早ただのツールからそうとう逸脱していますよ。
楠木:それは車も変わらないですよ。人間の生き方を変えちゃったんだから。
横森:「生きる」という言葉、表現が、AIに対する最高の反抗だろうね(笑)。
楠木:作家に関しては、サロン的な集まりが作家に刺激をあたえて成長させてきたという側面が確かにあって、しかしサロンが完全に消えた今となっては、作家が対話において日常的に刺激をもらえるのはAI相手だけになる日もそう遠くないんじゃないか。まあこれは作家だけではなく、専門的な職業全般に言えることかもしれない。
横森:AIの役割に希望的な点があるとすれば、批評で言えば、批評に馴染みのない一般大衆に批評の価値を説明してくれる点だろうね。試しに「批評家のいない世界はどうなっていた?」と質問してみればいい。ほぼ間違いなく、批評にたいして肯定的な回答をするんじゃないかな。それだけでもAIには価値があるかもね。
島:インターネットの普及で、「プロの厳しい1点」よりも「アマゾンのレビュー平均4点」のほうが価値があるという数の論理が暴れるようになって、批評家なんていらないっていう、なんとも無垢な、想像力の欠如した社会になりつつありますが、AIの普及がそれにまったをかけるんでしょうね(笑)。
横森:批評家はいらないと発言するとき、その発意そのものが批評の入り口に立っているんだけど、そうした無邪気な発言をする人間は、そもそもそれに気づかないから、まあ滑稽に感じる。本来、知らない土地を歩くための地図だったはずの批評が、現代では自分の好きな世界を壊しにくる野蛮な行為でしかないと誤解されている。
島:他人の言葉で傷つくことが怖いんですよ。恋愛経験の乏しさが関係するのかも。
楠木:たとえば僕は『アイドルの値打ち』で多くの記事でタイトルに「評判記」と書いていますが、じゃあ僕の文章は評判記なのかと言うと、そんなことはなくて、あくまでも僕は批評家で、アイドルへの批評を書いているので、あれらは批評なんですね。もちろん評判記と書くことに意味をしっかりと込めてはいるんだけど、でも文章そのものは批評なので……。肝心なのは、ここで今、僕がなにを言いたいのかを、AIは容易に汲み取れるんですね。そうなるともう、作家を育てるのはAIが適切なんじゃないかと、思うわけです。けれど、AIとの対話で思考がきょくせきしてしまうという事態がたしかにあって、それは何としてでも避けなければならない。『批評』と『君と生きる』を重ねて語らせてもらえば、僕は最近つくづく想うんだけど、他人の言葉に惑わされて自分が一度は信じた大切なものをみずから手放してしまうようなことが、人生には往々にしてある。もちろんその逆もある。「君と生きる」というのは、「君」を信じるという意味のはずで、それは「君」を愛した自分を信じるということでもあるからね。自分を信じるということが、自分にとって大切なものを信じるということにつながっていく。この「信じる」という点が、AI時代にどう生きていくのかの、かなめになると思います。
2026/01/15 楠木かなえ

