STU48 門脇実優菜 評価

STU48

門脇実優菜(C)STU48_member / Twitter

「才能の塊」

友人のカメラマンが「…でも、久しぶりにアイドルのライブを観たけど、あの子みたいなアイドル、最近少なくなったよね」と言った。どの子?と、私はタブレット端末をタッチして、STU48に所属するアイドルのプロフィールを見せた。門脇実優菜のことだった。たしかに、類似性という意味では、門脇実優菜のようなアイドルを探すならAKBグループを見渡すよりも「ハロー!プロジェクト」に所属するアイドルを眺めたほうが手っ取り早いだろうな、と思った。
「スネア?に合わせるのが上手だよね。だからこっちもね、綺麗に撮れるとおもう」
「スーパーボールのようなアイドルだよ。才能の塊」でも、じゃあこの子は現代のアイドルシーンのなかでトップアイドルに成れるのか、と訊かれたら返答に窮していたかもしれない。

門脇実優菜の名を耳にして、まず思い浮かぶのは「メルヘンデビュー!」のモノマネである。だが、門脇実優菜の”それ”は、モノマネの範疇を超えているだろう。まるで、トルコの細密画師のように人格という「骨」に染み込ませることを成功している、とでも云えばよいか。
盲目になるまで先人が描いた写本を眺め、複写を繰り返すトルコの細密画師。暗闇を獲得するために自らの眼を針で突き、盲目になる者もいる。暗闇が訪れた世界のなかで描かれる細密画には、写本にはない画師個人のスタイルが立ち現れる。所謂、「個性」とは、先人の知識の上に成り立つものである。小説家を志す若者が集まる勉強会で、私が繰り返し伝えていることは、まず”こうなりたい”と願う作家の文章を原稿用紙に手書きで写すこと、である。アイドルも同じではないか。目指すアイドルがいるならば、そのアイドルのダンスや日常の立ち居振る舞いをまず徹底的に真似るべきだ。個性とは唯一無二のものだが、それに到達するにはまずは温故知新、先人を知ることが必要だろう。真似るという行為の最中に、先人が”そのとき”どのような感情を抱いていたのか、想像ができるようになる。なぜ、そこでこんな表情をしたのか。選択をしたのか。動きをしたのか。発見し、考え、悩むことになる。やがて、その意味の正解を(勘違いでもいい)理解できる日が来る。ある日、自分も自然に、先人と同じ立ち居振る舞いを日常生活でとっていることに気づくだろう。
「じゃあやってみよう!」と思い立っても、そう簡単には出来ないのも事実である。まず何よりも億劫だから。精神的な若さや時間に対する余裕も必要になる。門脇実優菜が「メルヘンデビュー!」を会得するのにどれだけの時間をかけたのか知らないが、上記で述べたような体験を通過してきたのではないか、と想像できる。これは「演技力」として評価できるポイントだ。門脇実優菜の演技に対する潜在能力、資質は間違いなく次世代アイドルのなかでトップだろう。

問題は、それをアイドルという虚構の中でもう一度、同じ試みができるのか、という点である。目まぐるしく状況が変わる世界で、忙殺される日々のなかで、デビュー前に打ち込んだ、好きなものに対する情熱、時間を忘れてのめり込んでしまうような熱意を、アイドルとして再現できるのか。現在の門脇実優菜というアイドルを眺めていて想うのは、なんでもできるけど、なにもできない。どこにでもいけるけど、どこにもいけない。油断して接すると心を握りつぶされるのではないか、という緊張感の要求がない、と感じる。具体的な例を挙げるならば、感情の起伏、表情のうつり変わりがない。ライブにおいて、前の曲での表現を引っ張りすぎている、あるいは良好な状態で保存してしまっている、と云えば良いか、物語の場面転換を報せるための装置や仕掛けが欠落しているため一回性の獲得と提供に失敗している。

ライブパフォーマンス自体は前評判通り、エネルギーが漲っていて素晴らしい。小さいのに大きくみえる。才能の塊がステージ上を跳ね回っている。けれども、暗闇で覆われたこちら側に「感情」が浸透してこない。毎回、その虚構に踏み込んだら、触れたら、もしかしたら嫌いになってしまうかもしれない、という不安がない。
15歳の少女に、立ち居振る舞いや仕草の展開にスリルがない、と云うのは酷だろうか(才能を前にすると、対象の年齡を忘れてしまうのか)。しかし、同年代の大谷満理奈はすでにその領域に到達しているという点は看過できないだろう。比較されることから逃げられるアイドルなど現代には存在しないのもまた、事実である。

 

 

総合評価 66点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 14点 ライブ表現 16点

演劇表現 15点 バラエティ 12点

情動感染 9点

STU48  活動期間 2017年~

評価点数の見方