AKB48 谷口めぐ 評価

AKB48

谷口めぐ (C) o_megu1112/instagram

「きらきらひかる」

谷口めぐ、平成10年生、AKB48の第十五期生。
姿形の美しさは問うまでもなく、人懐っこい「愛嬌」と剣呑な「クール」が対峙し、鋭利な儚さを映し出す。心をひらく言葉を発し、他者と打ち解けようする直前にみせる躊躇、俯きに独特な警戒心が窺え、それが逆にファンの心をつよく握りしめ放さない。谷口めぐの風貌には、シンプルに生活としての闘争が内包されており、まるで古代ローマのソルジャー(剣闘士)のような澄んだ切迫を描く。彼女が咲うとしても、闘うと云っても、心地の良い空気振動が伝わるだろう。

演技力については、日常の剣呑さが薄れ、舞台装置上に落ちている不気味な”なにか”を警戒するような心細さを露呈するが、言葉の曇りのなさや的確さは損なわれておらず、気迫に満ちている。舞台での一挙手一投足、身振り手振りがそのままファンとの「未体験」の共有になっていて、活力(夢)を与えるというアイドルの命題をクリアしている。
ライブ表現力については、旧世代と新世代に挟撃される恐怖や不安、苦悩の表情をひとつの苦闘として、舞踏として、アイドルという架空の世界に落とし込むことに成功している。彼女の鋭利な眼光は観者と独特な距離感を作り出す。それが唐突に差し出される無邪気によって懐に手繰り寄せられてしまう。立ち居振る舞いに奇妙な安定感があり、ステージの上に立つことの歓び作りを隠さない。そのような光景は、グループの通史において、「挿絵」となって語り継がれるべきものなのかもしれない。しかし、その「時間」の経過に耐えうる資質が、能天気な立ち居振る舞いによって、メインストリートから逸れて遠回りする場面が多く、ファンを失望感に直面させる。だが、彼女の無防備な”無自覚”=”主人公感”はどう遠回りしても、何を選択しても、物語の中心(センターポジション)へと導かれてしまう「業」のメタファーであるのは、まず間違いないだろう。

ローマ人が柔軟に法律を変えたように、システム(組織)も時代の流れ、趨勢によって柔軟にカタチを変えなければならない。そうすることで混迷する困難な時代をのり越え、二度目、三度目の黄金期の到来を迎えることができる。AKB48は、たとえ衰退の一途を辿る状況であっても、「王者」にかわりはない。王者であるからには坂道シリーズというブレイクを迎え撃たなければならない。そのような物語を描かなければならない。彼女たちは、一枚の原稿用紙の上で食い扶持を奪い合うしかない宿命にある。自己犠牲(孤立感)によってのみ、この世界(文芸)は深化し、たかめられるのである。フィクションを作る、という行為は「幼稚」と揶揄され、「禁忌」とされる傾向がつよくなったが、しかし、グループアイドルの物語を語るうえで、虚構の存在からは逃れられない。矢作萌夏を「救世主」として、彼女の美貌を掲げることもまた、ひとつのフィクションなのである。真実を伝える為の虚構=フィクションの支柱となり、AKBグループの崩落を持ち堪える役目を担うのは、谷口めぐと村山彩希の2名だろう。村山彩希がシーンそのものを転覆させる独立独歩として屹立するのに対し、谷口は島崎遥香以降、途絶えていた「個性」と小嶋真子から欠落した「主人公感」を邂逅させる。谷口めぐ、村山彩希の名を掲げることで辛うじてAKB48の存在理由は保たれ、過去だけではなく、あたらしい未来での”栄光”を描くことができる。谷口めぐは、AKB48という深く救いの無い、闇のような筐体の底で、きらきらとひかっているのである。

 

総合評価 66点

アイドルとして活力を与える人物

(評価内訳)

ビジュアル 15点 ライブ表現 13点

演劇表現 13点 バラエティ 13点

情動感染 12点

AKB48 活動期間 2014年~

評価更新履歴
2018/11/20 再評価、リライトしました
2019/03/25 再評価、リライトしました

評価点数の見方